6.批判や否定をするたびあなたの刑期が長くなる

前の記事
5.あなたへの批判をマホカンタで跳ね返す方法

最近よく、誰それが何かをして炎上したという話を聞く。炎上とは、誰かの言動に対する批判や否定が殺到することだ。あなたに身近な人があなたに危害を加えたりしているなら、批判や否定をしても仕方ないかもしれないし、その気持ちはわからなくもない。しかし、全く縁のない、テレビで見ているだけの芸能人などの言動に対して激しい罵声や批判の言葉を浴びせるのはどうしてだろう?そこにメリットはあるのだろうか?

もちろんメリットはある。意識的にも無意識的にも、人は自分にメリットがあると判断した行動しかしない。では、この批判や否定の行動にはどんなメリットがあるだろう?

メリットは2つある。1つは、あなたは自分が正しいという感覚を得ることができる。自分は間違っていない。自分はまともだという感覚を得ることができる。そうして自分を守ることができる。

しかし、ここで勘違いがある。あなたが守っているのはあなた自身ではなくあなたの”考え”だ。あなたは思考でも感情でも体でもない。”これが正しい”こうすべきだ、こうすべきでない”というのは考え、思考であってあなたではない。

あなたはあなたの考えを守るために、誰かのことを批判したり否定したりする。

そして、もう一つ大きな勘違いがある。あなたの考えだと思っているものは全てあなたの考えではない。

少し考えてもらいたい。あなたは生まれた時、何か考えを持っていただろうか?”これはこうだ、これはこうでない””こうあるべきだ、こうあるべきでない”というような考えを持っていただろうか?そんなことはないはずだ。まず、生まれてからしばらくは言葉を使わない。言葉を使わないということは、如何なる考えもやってこない。

あなたが親から、学校の先生から、近所の人から、親戚から、友人から、その他あなたにとって影響力のある人から聞いた考えを、あなたが吸収して、いつしかあなたの考えだと思い込んでいるだけだ。

別にそれはいいことでも悪いことでもない。そういうものだ。しかし、”これはこうだ、これはこうでない””こうあるべきだ、こうあるべきでない”というような考えは全部他人のもので、それを守るような価値が、メリットがあるかどうかは一度考え直した方がいいだろう。

こうした考えはあなたを制限する。刑務所に入るようなものだ。例えば、あなたが親から”人に迷惑をかけるのはいけない”という考えを聞き、それをあなたが採用したとする。すると、あなたは”人に迷惑をかけるのはいけない”という刑務所に入ったようなものだ。なぜなら、あなたが本当はしたいことがある、もしくはやりたくないことがあったとしても、それが誰かの迷惑になるとしたら、それをしないだろう。もしくはやり続けてしまうだろう。

もし、”人に迷惑をかけるのはいけない”という考えをあなたが持っていなかったとしたら、あなたがやりたいことをやる、もしくはやりたくないことをやめる時に「これをしたら、しなかったら誰かに迷惑をかけるかもしれないから」というような考えすら浮かんでこないだろう。あなたはやりたいことができる。もしくはやりたくないことはやめられる。

これが、考えを持つことは刑務所に入るようなものという意味だ。

あなたが今まで持っていた考えは、全て他人のもので、他人が「私は正しい」ということを感じるためにあなたに伝えたものだ。そしてあなたはその考えを守るために自ら刑務所に入っている。さて、そんな考えを守る価値があなたにあるだろうか?本当にあなたの幸せに貢献しているのだろうか?

もう一つメリットがある。それは、あなたをずっと刑務所に放り込めるからだ。あなたがあなたの考えにそぐわない行動をする人を見かける。あなたはその人を批判し、否定する。あなたと同じように批判したり否定したりしている人を見かける。そうして、あなたは「やっぱり私の考えは正しい」と感じる。そうして、あなたは今までより強くその考えを握りしめることになる。そうして、その考えで作られた刑務所に自ら進んで長くいようとする。

あなたを刑務所に放り込んでおきたいのは、あなたがいつも感じている”私”という意識だ。私が考えて、私が行動して、私があれこれしていると錯覚している意識だ。エゴとか自我とかいろんな呼び名がある。この”私”は存在しない。存在していると錯覚している。

しかし、あなたが思考や感情や体が自分ではなかった。それを見ている側だったということに気づくと、”私”が実は存在しなかったんだと尻が割れてしまう。だから、存在していたい”私”はあなたの考えを守るために躍起になる。何かの出来事を「問題だ!」と問題を作って、それを解決しようとする。実際は何の問題も起きていない。ただ映画のワンシーンだったというだけだ。

あなたが見る映画やドラマ、漫画でもなんでもいい。それらのストーリーの中で、主人公や登場人物にあれこれトラブルが起きるだろう。登場人物からすればそれらは大問題かもしれない。しかし、読者のあなたにとってそれは問題なのだろうか?実際にそれが起こっているのだろうか?あなたに何か影響を与えるだろうか?

あなたが映画やドラマ、漫画の主人公だと思い込んでしまったら、もうそのキャラとしての発想しかできなくなるだろう。そこに閉じ込められてしまうということだ。つまりは刑務所に入るのと同じだ。

まとめると、あなたが何かを批判したり否定したりする時、あなたはどうでもいい誰かの考えを守るために自ら刑務所に入り、刑期を長くしている。

あなたが誰かの考えを守るために刑務所に入るのも悪いことではない。それを選択するとそういう経験をするというだけだ。そういうのを捨て去って、最終的には”私”という錯覚を捨てて、作者であり読者だったことを思い出すのがいいことでもない。それを選択するとそういう経験をするというだけだ。

あなたが好きな方を選ぶといい。

あなたが誰かに”こうすべきだ!すべきでない!”と言われても、「あぁ、この人はこういう刑務所に自ら進んではいってるんだな。」と思えるようになる。すると、何を言われても腹が立たなくなる。あなたはその人が何を言ったとしても、自分がありたいように振る舞うことができる。自由だ。

さて、生まれてから最初に入る刑務所は”私”という考えの刑務所だ。他の考えはその”私”の枝葉だ。次回は、”私”という考えがどこからやってきてるのかと、そこから抜け出す方法について説明する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です