16.本当のお金持ちであるために実践する7つのこと

これまで、本当のお金持ちは何かということ、それからあなたとは一体何かについて説明してきた。ここからは、本当のお金持ちであるために生活の上で実践することを紹介したい。

自分はできると決めること

あなたの決定が全てだ。ということは、あなたはあなたが本当のお金持ちであると決定する必要がある。そして、本当のお金持ちとは「自分を信じている人」だ。偽物のお金持ちのように、お金のあるなしでできることが変わったりしない。「私はできる」根拠もなくそう信じている人のことを言う。持ち物やステータスや生み出した成果を自信の拠り所にはしない。

あなたは一体誰なのだろうか?あなたがあなた自身のことを名前のついた身体だと決めているなら、あなたができることはたかがしれている。しかし、あなたがあなたの人生の作者で、あなたが見るもの聞くもの認識するものすべてを作っているなら、あなたにできないことがあるだろうか?

お金を払うたびに喜ぶ

あなたが誰かにお金を払う。それは一体どういうことだっただろう?あなたの支出は誰かの収入だ。収入があれば、その収入をもとに欲しいものを買い、やりたいことをやり、喜びを得ることができる。あなたはその機会を与えたのだ。その上、あなたはあなたの欲しいものや、やりたいことをやるという価値を受け取った。こんなに喜ばしいことはあるだろうか?あなたもお金を受け取った相手も喜ぶ。そして、その喜びが世界中を駆け回っていく。

あなたは「でも、それと引き換えにお金を払った。だから等価交換だ。」と思うかもしれない。本当にそうだろうか?あなたは「等価」交換したのだろうか?あなたが買った商品や利用したサービスは間違いなく価値があっただろう。それにひきかえ、あなたが渡したお金には価値などあるのだろうか?

お金を払うたびに大いに喜ぼう。金額の大小は関係ない。100円の物を買ったら少し喜んで、100万円のものを買ったら大喜びするという区別は不要だ。値段なんて誰かが便宜上つけているだけでただのレッテルだ。レッテルを貼られる前のものは全て無料で、どれも価値は等しく同じだ。だから、100円のものを買っても大喜びすればいい。もちろん、100万円の物を買っても同じだけ大喜びすればいい。

あなたは与えたものを受け取る。喜びを表現すれば喜びを与えたことになり、それを受け取る。あなたの喜びが次の喜びを生み出す。

あなたはお金を払うたびに誰かに喜びを与える。その誰かとは一体誰なのだろう?あなたの喜びと誰かの喜びがあるように見える。しかし、あなたが見ているものは全てあなたの虚像であり表現だ。だとしたら、そこにあるのはなんだろうか?

受け取った価値に感謝し、与えた喜びに感謝してもらう

あなたが使う、食べるもの、利用するサービスがある。それがあなたの手元にやってくるまでに、一体どんな道筋をたどってきただろう?想像してみて欲しい。

あなたがパン屋さんであんパンを買うとする。あなたがお金を払うのはあんパンを作ってくれたパン屋さんにだけだろう。しかし、あんパン一つが出来上がるまでにたくさんの人が携わっている。あんパンの材料を作る人、パン屋さんに運ぶ人、パン屋さんにあんパンの作り方を教えた人、パン屋さんの建物を建てた人、土地を世話した人、電気を供給している人、水を供給している人、パン屋さんを育てた人、パンを作る器具を作る人、運ぶ人、設置する人、水を供給している人、パンを陳列する棚を作る人、お店の制服を作る人、運ぶ人、、、

他にも挙げればいると思う。あなたがあんパンという価値を受け取るために、本当にたくさんの人の労力がかかっている。そのことを想像するだけで、本当にありがたいという気持ちになるだろう。また、あんパン一つでも奇跡だと感じるだろう。

それと同時に、あなたはあんパンを買うことでそれらの人たちに喜びを与えている。幸せを感じる機会を与えている。受け取ったお金を使うことは喜びだ。誰かの役に立って貢献感を感じるのは幸せだ。あなたはたくさんの人たちにそれらを与えている。

あなたがたくさんの人にありがとうと言い、たくさんの人にありがとうと言われているところを想像してみて欲しい。

とてもいい気分になるだろう。お金を使うというのはそういうことだ。

あなたは与えたものを受け取る。感謝を表現すれば感謝を与えたことになり、それを受け取る。あなたの感謝が次の感謝を生み出す。

望む将来を選択し、それがすでに実現したことにする

時間は幻想だ。実際には存在しない。あなたはあなたの人生の作者だ。すでにある世界を見ているのではなく、あなたの目が世界を映している。あなたが「こうする」と決めた通りになる。そして、実際にはない時間を使うことで、あなたが決めた結末に向かうまでのタイムラグを楽しむことができる。

今のあなたの現実がどうであれ、常に決定した結末を思い描いておく。そして全ての出来事はあなたが決定した結末に向かうために起こっていると思う。「何もかも順調だ。」「完璧だ。」を口癖にする。

どんなことが起こっても、あなたが望む結末を変更してはいけない。あなたがお金持ちになることが望む結末なら、あなたが「私はお金持ちだ」という決定をし、すでにそうなっていることにし、何が起こってもあなたがお金持ちになるために起こっていると思う。そうして、お金持ちになるまでのストーリーを楽しむといい。

どんな風にお金持ちになっていくんだろう?と思ってワクワクしておくといい。

お金を払うときは、払った金額以上の額が帰ってきたことにする

お金を払うときに、お金が減ったような少なくなったような感覚、預金残高が減ると自分自身の価値が減ったような感覚になるかもしれない。そんなときは、お金を払うときに、増えて帰ってきたことにすればいい。

あなたが決めたようになる。そして時間は幻想だ。あなたがお金を払うたびに「増えて帰ってきた。」と決めれば、その通りになる。どんな形で増えて帰ってくるのか楽しみにしておけばいい。

あなたが望まない考えを手放す

あなたはどんな風でありたいのだろうか?本当のお金持ちか?それとも偽物お金持ちか?はたまた、貧乏人だろうか?

あなたが望む姿であれば、どんな思考が浮かんでくるだろう?今あなたに浮かんできた思考は、あなたが望む姿だとしたら浮かんでくるものだろうか?

本当のお金持ちなら、値段で欲しいものを諦めたりするだろうか?ケチケチするだろうか?お金のためにやりたくもないことをやるだろうか?お金のためにやりたいことを我慢するだろうか?どうだろう?

あなたのところにやってくる思考は、あなたが持っている信念に基づく。あなたが「お金は使うべきでない」「誰かに渡すべきでない」「たくさん持っておかなければいけない」と信じているなら、そう行動させる思考がやってくるだろう。

具体的には何かを買おうとするたびに「もっと安いものがあるのではないか?」「今お金を使うべきではないだろう」「無駄遣いをすべきでない」「貯金を減らしてはいけない」というような思考がやってくるだろう。それとともに、不安や罪悪感と名前がつくような感情がやってくる場合もあるだろう。

あなたが望む姿にふさわしくないと感じる思考、信念は手放していこう。

まずは、あなたにやってくる思考に気づくことだ。あなたは思考を自分だと思って、それを自分の考えだと固く信じているだろう。しかし、そうではない。認識できるものはあなたではない。思考を認識できるなら思考はあなたではない。あなたの虚像、表現の一つだ。

何か思考がやってきたら、「あ、思考がやってきたな」と気づく習慣を身につけよう。何かの思考の後に「〜という思考がやってきたのだった。」と後付けするのも役に立つ。その時点で、あなたは思考が自分だと勘違いしなくなっているからだ。

思考に気づけるようになったら、あなたが望む姿にふさわしくない思考「貧乏マインド」を手放していく。

貧乏マインドの見つけ方は簡単だ。欲しいものを欲しいタイミングで買おう。やりたいことをやりたいタイミングでやろう。それに反対する思考が現れたら貧乏マインドだ。

貧乏マインドに気づいたら「今までありがとう。もう必要ない。さようなら。」と告げて手放す。あなたが今まで使っていた家電や服を捨てる時と同じように捨てる。思考も家電も服も同じエネルギーからできているから、扱いは同じだ。あなたにとって必要なものだけを残せばいい。あなたが気にいるものだけを残せばいい。

しかし、なぜ貧乏マインドに感謝するのだろう?もしかしたら、あなたは「この貧乏マインドのせいで私はしたくもない苦労をしてきたんだ!」と腹をたてるかもしれない。そうして、貧乏マインドを目の敵のように感じるかもしれない。

それは勘違いだし、そうしない理由がある。

まず、貧乏マインドは悪いものではない。ただの一つの考えであり設定だ。いいも悪いもない。その考えを信じればそういう設定になり、そういう経験ができるだけだ。

映画にもいろんなストーリーがあるが、主人公が貧乏だったり奴隷だったりする映画があるだろう。では、そういう映画は悪い映画なのだろうか?

見ても面白くない映画というのはあるが、「悪い」映画はない。あなたが気に入らなかっただけで、その映画を面白い、好きだという人もいるだろう。それと同じで、どんな考えにも「悪い」ものはない。単純に、あなたがそれを見たいかどうかだけで選べばいい。あなたが気にいるかどうかだけで選べばいい。それを経験したいかどうかだ。

あなたは今まで貧乏マインドを持っていたおかげで、お金に不安を感じ、お金に苦労するという経験ができた。その経験ができたことに感謝する。引き続きその経験がしたいなら、貧乏マインドを持ち続けても構わない。いいも悪いもない。どんな経験がしたいかだ。必要なければ捨てればいい。

もう一つ、貧乏マインドに腹を立てたり否定しない理由だ。

その理由は、否定したものとは向き合うことになるからだ。貧乏マインドを否定するということは、貧乏マインドと向き合うことになるということだ。つまり貧乏を経験するということだ。

心理学に「投影」という言葉がある。自分の一面を否定すると、それが他人に写し出されるというものだ。例えば、あなたが親に「わがままは悪いことだ!」と散々怒られてきたとしよう。誰しもみんなわがままなものだ。しかしあなたは親に怒られ続けるうちに、自分のわがままな面を「いけない」と否定するようになった。

否定したものは他人に投影される。どんな風に投影されるかというと、あなたの目の前にわがままな人が現れる。そして、あなたはそのわがままに煩わされるようになる。見ているとはらわたが煮え繰り返る思いになる。なんせ、自分が「いけない」と否定したのに、その否定したことをやっているんだから!あなたは許せない。

あんなわがままなやつ許せない、頭がおかしいとあなたは思うだろう。しかしそれは、あなたが持っていた一面なのだ。あなたが許せないわがままな人を見て、「自分にもそういう面があるんだな。」と認めれば投影は終わる。

あとは、あなたはわがままに振る舞うこともできるし、これまで通り振舞うこともできる。わがままな一面を否定せず、選択できる立場になる。あなたが選びたい方を選べばいい。食後のドリンクにコーヒーか紅茶かを選ぶような感覚だ。

この世界はあなたが写し出されたものだ。あなたが見るもの聞くもの認識するもの、全てあなたの一面ということだ。その一面をあなたが否定する。すると、その一面が投影されてあなたにやってくる。「認めてほしい」という声無き声をあげて。

あなたは貧乏マインドを認める。自分にもそういう考えがあったんだなと。すると、投影は終わる。すぐには終わらないかもしれないが、少しずつ終わっていくだろう。あなたは選べるようになる。貧乏マインドを元にした思考、行動を採用するか、お金持ちマインドを基にした思考、行動を採用するか。食後のドリンクにコーヒーか紅茶かを選ぶような感覚で。

「いい」「悪い」ではなく、あなたがそれを望んでいるかどうかだ。

今、あなたにやってきている考えは、あなたが在りたい姿のものだろうか?今、あなたがとっている行動は、あなたが在りたい姿のものだろうか?

本当のお金持ちと同じ思考と気分を選択する

本当のお金持ちはどんな思考をしているだろうか?少なくとも、支払いのことを考えたり、お金がなくなったらどうしようというようなことも考えていない。

お金を増やすことも、儲けることも考えていない。そんなことをする必要がないからだ。

では、一体何を考えているのか?それは「次は何をして遊ぼうか?」だ。「次は何やろうかな?何を経験したいかな?」ということだ。本当のお金持ちは遊びまくっている。

あなたも同じ思考をしてみよう。なんでもできるとしたら、どんなことをしたいだろうか?想像してみて欲しい。一切の縛りはない。あなたが好きなことを好きなだけできる。どんなことをするだろう?

想像できただろうか?想像したらどんな気分になっただろう?

明るくていい気分になったはずだ。もし、「そんなことはできない」「お前にそんなことができるはずがない」「お前にそんな資格はない」「身の程を知れ」というような思考がやってきたら、手放そう。

意識して本当のお金持ちの思考を選択しよう。そして、意識的に明るくいい気分でいよう。勘違いしないで欲しいが、いい気分でいなければいけないことはない。不安や罪悪感、怒りや悲しみを否定する必要はない。それらの気持ちがやってくるなら、やってくるままにしておくか、根っこにある考えを手放してしまうといい。感情は思考が起こしている。

これも、あなたが望む気分でいるということだ。あなたが感じたい気分を選択すればいい。あなたが音楽を聴くとき、「今日はこの音楽を聴こうかな」という感じで選ぶといい。もし、違ったものが再生されるなら変えればいい。

もし、したいことの中に今できることがあるなら今やってみるといい。そして、思いっきり楽しんで欲しい。あなたの楽しみや喜びや幸せが、誰かの楽しみや喜びや幸せにつながっていくから。

楽しい事を考え、人生を楽しもう。人生は楽しんだもの勝ちだ。

誰かの幸せを願う

誰でもいいので、嫌いな人を思い浮かべてみて欲しい。その人に対して思い付く悪口を言ってみて欲しい。言ってみただろうか?声に出しても出さなくても構わない。

さて、その悪口を聞いたのは誰だろう?あなたが嫌いな人だろうか?それとも、あなただろうか?

では、その悪口は一体誰に言ったのだろうか?

あなたの世界はあなた自身が映し出されたものだ。他人のように見える人も、それはあなたの虚像でありあなたの表現だ。この世界にはあなたしかいない。

あなたの表現である他人(のように見える人)の悪口を言ったり不幸を願ったりすることは、本当はどんなことをしているのだろうか?

人を呪わば穴二つとはよく言ったものだ。人を呪おうと思っても、実際に呪っているのは自分自身ということだ。

あなたも呪われたり不幸になりたいと思っていないだろう。幸せでありたいはずだ。
では、何をすればいいのだろう?人を呪うと自分も呪われるのであれば。

他人の幸せを望むといい。知っている人も知らない人もそうだ。それは、実際にはあなた自身の幸せを望んでいるということだ。

そうはいっても、気に入らない人や恨みたい人、実際に恨んだり憎んだりいしている人がいるだろう。いきなりそんな人の幸せを望むのは難しいかもしれない。もし、誰かを恨んだり憎んだりするような考えがやってきたら、手放そう。その考えや恨みたくなる気持ちを認めてあげるだけでいい。あなたがその考えを選択しなければいいだけだ。「そういう考えもあるんだな。」「恨みたい気持ちがあるんだな」と認めるだけでいい。否定してはいけない。否定したら、否定する自分を認めればいい。

誰かの幸せを願ってみる。あなたなりのやり方で構わない。思うだけでも、実際に手助けをしても構わない。あなたの喜びが誰かの喜びであるように、誰かの喜びはあなたの喜びだ。あなたしかいなければ、そこにあるのは「喜び」だ。

私は「幸せになりますように」とは願わない。なぜなら「幸せになりますように」は今幸せじゃないという認定をしているからだ。あなたの決定が全てでタイムラグがないとしたら、今この瞬間の決定が全てだ。

「この人も幸せな人だ」「この人も幸せになりました」と願うといいだろう。何か「悪い」と判断できるような出来事に巻き込まれている人に対しても「この人も幸せになりました」と願ってもいいだろう。

誰かの幸せを願わないといけないことはない。あなたがしたいようにすればいい。それも選択だ。幸せを願うこともできるし、無関心でいることもできるし、不幸を願うこともできる。あなたはそれを選択できる。あなたはどう在りたいだろうか?

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