12.お金は一体誰に払っているのか?

あなたの外にいて、あなたとは違う人に見えるような人も、実際はあなたの表現だ。あなたの体と同じように、他人に見える人もあなたの虚像だ。

ということは、お金を払っている時、実際は誰に払っているのだろうか?

名前のついたあなたの立場で考えれば、あなたから他の名前がついた誰かにお金を払っているようにしか見えない。だから「私のお金」が「誰かのお金」になったと考える。普通はお金がたくさんあるほうがいいとされているし、その方がたくさんのことができるし安心できると考えられる。そのため、できるだけ「私のお金」を誰かに渡さずに済むように考えてしまう。

しかし、あなたは名前がついた体なのだろうか?

あなたがそう信じる限り、あなたは広大な世界に生まれた70億分の1のちっぽけな存在にすぎない。あなたはそんな考えを採用したいのだろうか?それがあなたの経験したいことだろうか?

私はお金を喜びのバトンだと決めている。私が何かを受け取ってお金を払うとき、それはお金を払う私も、お金を受け取る他人のように見える人も喜ぶときだ。他人のように見える人も私の虚像、表現だとしたら、一体誰が喜んでいるんだろう?

私が誰かに渡したお金は、たくさんの人に喜びを与えながら世界中を旅する。世界中に喜びを与えているのと同じだ。世界中に喜びを与えているということは、実際に喜んでいるのは誰だろう?

名前のついた体をあなたと設定しても構わない。すべてであるものをあなたとしても構わない。どちらがいいとか悪いはない。ただ、どちらの立場での経験をあなたが望んでいるかということだ。

あなたは、映画のシナリオ通りに動くしかない、制限だらけの立場を選びたいだろうか?それとも、自由に自分の観たい映画を作ることができる無限の立場を選びたいだろうか?

あなたはどう在りたいのか?

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