11.「ない」は「ない」

あなたが見るもの、聴くもの、触れるもの、認識できるものは全てあなたの虚像であり表現だ。ということは、あなたは「すべて」だ。

あなたにやってもらいたいことがある。
「ない」ものを想像してみて欲しい。

できただろうか?

できないはずだ。なぜなら、想像した時点であなたの頭の中にイメージとして存在するからだ。もう一つやってもらいたいことがある。

何かが「ない」と言ってみて欲しい。なんでもいい、たくさん言ってみて欲しい。

  • お金がない
  • 水がない
  • 食べ物がない
  • 家がない
  • 車がない
  • スマホがない
  • スキルがない
  • 甲斐性がない
  • etc…

何に対しても「ない」ということができるだろう。しかし、何かが「ない」というとき、その「何か」がなければ「ない」と言えない。

例えば、「お金がない」というとき、お金の存在自体がなければ「お金がない」とは言えない。この世にお金というものが存在していないと「ない」とは言えない。

ということは、「ない」は「ある」ことが前提になっている。そして、「ない」ものは想像することすらできない。ということは「ない」が「ない」のだ。

「ない」が「ない」ということは、「ある」だけが「ある」ということだ。

「ない」というのは錯覚であり、実際は「ある」だけがある。

何かについて「ない」と考えてしまうとき、正確にはそういう考えがやってくるとき、それは錯覚だということを思い出して欲しい。「ない」は「ない」のだ。

上に挙げたリストから「ない」を取り払うとこうなる

  • お金
  • 食べ物
  • スマホ
  • スキル
  • 甲斐性

すべてあなたが写したものだ。あなたから写されたものだ。それを持っていないとしたら、写すことはできるだろうか?ということは、あなたが「ない」と錯覚するものも、実際はすでに持っているということではないだろうか?

すべてであるあなたが持っていないものなどあるだろうか?

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