あなたが経験している世界は、あなた自身を写したものだ。あなた自身の表現と言ってもいい。しかし、あなた自身ではない。
あなたはあなたの人生という映画を作りながら見ている。今この瞬間もそうだ。あなたが生まれる前に映画のシナリオは作ってきた。あなたはどの両親の元に生まれるかを選ぶことはできないし、どんな環境で生まれるかも選べない。その時点で、どんな育てられ方をするか、どんな環境で育つかは決まったようなものだ。
そして、三つ子の魂百までという言葉があるように、小さい時に吸収した考え方、信念の影響を受けながら育っていく。信じていることを経験するので、どんな信念を持つかはどんな経験をするのかと同じ意味になる。
どんな両親にどんな環境で育てられてどんな信念を持つかは決められていると言っても過言ではない。
これが、あなたが生まれる前に映画のシナリオは決められているという意味だ。
しかし、あなたは選択できることに気づく。誰かが言ったことをそのまま信じるか、自分の信念にするのか捨てるのか選ぶことができると気づく。そして、今自分が信じていることをそのまま信じるか、それとも捨てるかを選ぶことができることに気づく。
どんな信念を持つかは、どんな経験をしたいかということと同じだ。あなたが信じていることを経験するからだ。
あなたは選ぶことができる。どんな経験をしたいのか。どんな映画を観たいのか選ぶことができる。
そのためにあなたがすることは「決める」ことだ。「私はこんな映画を観たい」と決める。そうしたら、その瞬間からもうそうなっている。
その瞬間からそうなるのは、時間が幻想だからだ。時間というものは本来存在しない。これについて詳しくは後述する。
あなたが認識できるものは、全てあなた自身の表現だ。ということは、あなたが「こうだ」と決定したことについて、全てが合わせてくれる。無条件にだ。
ということは、あなたが今経験していることがどんなことかを見れば、あなたが今どんな決定をしているかがわかるということだ。望まない経験をしているならば、違う決定をすればいい。観ても面白くない映画を見続ける必要はない。途中でやめて、あなたが観たいと思う映画を見ればいい。
あなたはどんな映画を見たいだろうか?あなたの人生が全く白紙であれば、あなたはどんな映画を作り上げるだろう?