音楽から楽が抜け落ちてしまった私の失敗談

私は音楽を聴くのが大好きです。
仕事をしている部屋ではいつも大音量で音楽を聴いていますし、車での移動中も大音量で音楽を聴いています。

家族といるときでも音楽をかけたいのですが、「うるさい!」と言われますし、自分1人の時は十分聞いているからということで聞かないようにしています。本当は音楽つけておきたいんですが。

せっかく聞くならいい音で聞きたい!と思ったので、これ以上無いくらいのスピーカーを買ったり、いい音が鳴るようなグッズも部屋に置いたり、音楽聞き放題サービスも、データが圧縮されているのではなく、CD音質と変わらない音質で配信してくれる海外のサイトに登録して聞いています。

もっといい音で音楽を聴くために、金と時間と労力をかけてきました。そのおかげで、家で聴く音楽はとてもいい音です。目の前でアーティストが演奏してくれているんじゃないか?と思うくらいです。

ここまではいいんですが、ここからが失敗談です。

音楽が鳴っているのは、自分の家や仕事部屋、車の中だけではありません。何かのお店の中に入ると、何かしらの音楽が鳴っています。その鳴っている音楽に対して「いい音なのかどうか?」という「ものさし(判断基準)」ができてしまいました。

鳴っている音が「いい音」でなければ、自分が投資した金、時間、手間が無駄じゃなかったんだ、自分の選択は合っていたんだと安心できます。でも、鳴っている音が「いい音」だと感じた場合、こんなことを考えてしまっています。「どこのメーカーのスピーカーなのか?」「どれくらいの金額なんだろう?」極めつけは「自分のスピーカーと比べてどうだろう?」という比較を行っています。「もっと安くていいスピーカーがあったんじゃないか?自分の選択は失敗だったんじゃないのか?」と不安になっています。

こうなると、もはや曲は聴いていませんね。ものさしがなければ、純粋に音楽を聴くことができていました。そこに「いい」と「悪い」が入ってきたので、純粋に、ありのままに音楽を聴くことができなくなってしまいました。

「いい」というのを求めなければ、「悪い」に出会うこともありませんし、「いい」というのを維持しようと苦しまなくて済みます。

私の中では「いいもの」=「高い」という信念がまだまだ根強いので、「高いものならいいものだろう」と思ってしまっています。そうではなく、「自分の好きな音、気に入る音が鳴るかどうか」という基準で選べば良かったのです。

「いい」か「悪いか」ではなく「好き」か「嫌いか」であれば、比較をして苦しむようなことはありません。他にもっと「いい音」がなるスピーカーがあったとしても、今持っているスピーカーに対して「このスピーカーの音が好き」と思えるでしょう。しかし、「いい音」を求めていると、よりいい音が鳴るというのは魅力的なので買い換えを検討して、買うでしょう。そして、これには際限がありません。

しばらくは「さらにいい音」に満足しますが、「もっといい音はないのか?」と探し始めるようになります。

このように、「いい」と「悪い」の判断は世の中にたくさんあります。
たとえば、
– お金はたくさんある方がいい
– 結婚している方がいい
– 子どもがいる方がいい
– マイホームを持っている方がいい
– 不安定な仕事よりも安定している仕事が良い
– 稼ぎの多い仕事の方がいい
– 勉強できた方がいい
– 学歴は高い方がいい
– 値段が高いものの方がいい

などなど、あげていけばキリがありません。そして、私たちは「いい」と判断できる方を常に追い続けています。しかし、上にも書いたとおりこれには際限がありません。

どこまでいっても、「もっといいもの」「もっと良い状況」があるものです。

「いい」「悪い」の判断は、どちらかというとあなた以外の誰かが決めた基準であることが多いです。誰かが持っているものさしをあなたが採用しているだけです。そうではなく、あなただけのものさしを使いましょう。それが「好き」「嫌い」「合う」「合わない」「やりたい」「やりたくない」です。

私は椎茸が嫌いですが、誰かが持っている「椎茸はどうのこうの」というものさしを採用したのではなく、純粋に嫌いなのです。

何かを選ぶときは、「いい」「悪い」という誰かのものさしを使うのではなく、あなた独自のものさしを使いましょう。あなたの人生が始まります。

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