辻褄が合うって、そんなに大事ですか

あなたが今、とてもお金に困っているとしますね。具体的には今日中に100万円ないと、家も車も何もかも失ってしまう。親にも友人にもご近所さんにも顔向けできなくなる。そんな状況だとします。

喉から手が出るほどお金が欲しいわけです。(本当に欲しい物はお金じゃなくて安心なのですが、それは置いておきます)

そんなときに、ふと目をやると玄関の下駄箱の上に100万円が置いてありました。あなたは目を疑うでしょう。でも、あなたの家の中にあるお金です。その100万円で、あなたはなにもかもを失わずに済むわけです。

そんなとき、あなたはどう反応しますか?

素直に「やった!これで助かった!」と反応しますよね?そして、大急ぎで銀行へ行って100万円を通帳へ入れますよね?

それとも「いや、こんなとこに100万円があるなんておかしい!この100万円がどうやってここにやってきたか、まずは解明する必要がある。それまでこの100万円はそのままにしておこうと思いますか?今日100万円を支払えないとゲームオーバーなのに。

辻褄が合う事なんて、どうでもよくないですか?
あなたが得たい結果があってそれを得られる。そこに辻褄が合うことや、合理的な手順をたどることは必要ないですよね?

でも、私たちの思考はそれを求めます。辻褄が合うこと、矛盾がないこと、合理的に説明できることです。

お金の問題が解消されるとしたら、これがこうなってこうなって、こういうルートでお金が入ってくるはずだ。そうじゃないともう入ってこない。と決めてしまうので、それ以外の方法やルートが見えなくなってしまいます。

私たちの人生というストーリーは、過去から未来へ首尾良く整って、あれこれ辻褄が合った形で流れていると思いがちですが、実際はそうではありません。
アニメのように一コマ一コマは別のコマです。過去と今は関連していません。1秒前までそこに無かったものを突然出現させることだって可能です。

ただ、あなたが「辻褄が合ってないといけない」という信念を固く持っていると、辻褄が合うことしか起こらないです。私や一部の方が経験されたような預金通帳が勝手に増えるなんてことは絶対に起こりません。

もう一つ、お金の問題が解消されることで得られるものは「あ〜、よかった〜!」という安心感です。ということは、お金の問題が解消されなかったとしても安心できるならそれでいいですよね。それが得たい結果なんですから。逆に、お金の問題が解消しても不安が消えないのであれば、そんなものどうだってよくないですか?

バイアグラを飲むのは勃起させるためですね。じゃあ、勃起すればいいじゃないですか。バイアグラ無しで勃起してるのに「いや、俺はまだバイアグラを飲んでないのに勃起するなんておかしい!」といって、目の前に現れた望んだ状態とケンカをするようなものです。

お金の問題が解消しないうちは、安心してはいけない!といって、ずっと望んだ状態を避けています。本当はいつでもどこでも安心することは可能ですし、なんならずっと安心しておくことだってできます。安心が本来の姿ですからね。

お金の問題が解消することで求めているものが安心なら、さっさと安心してしまえばよくないですか?頭の中で「いや、この状況で安心するのはおかしい。辻褄が合わない。キチンと問題が解消しない限り安心することは許されない!」などと考えずに。

安心してたら安心できる結果になっていきますよ。もっとも、目の前の状況にかかわらず安心できるようになれば、何かの結果にとらわれるようなこともなくなってきますが。
映画のスクリーン上では、街が爆破されて人が死んでいたとしても、スクリーンの外にいるあなたには何の影響もありません。安心してみていられますね。それと同じです。

あなたの現実が望む姿になったとして、そこから得たいものは何でしょうか?そして、それを今すぐ得ることはできませんか?

「今に在る」こと。その時、あなたが得たいものを得ています。

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