先日、なんとなくLINEのニュースを見ていたら船越英一郎さんの記事がありました。ドラマの制作発表記者会見での出来事です。
記者から船越さんに「自分の信念は?」と質問があり、それに船越さんは「悪いことが起きても全部感謝しよう。」と答えられました。
以下、引用です。
「世の中にはいろんなことが起きます。すてきなこともあれば、とんでもない悪いこともある。自分が想像しないような事態が起きます」。そう切り出した船越は「悪いことが起きても全部感謝しようと。いろんなことが起きて、それを乗り越えると、その前よりすてきな自分がいて、強くなる自分がいる。悪いこと起きても全部感謝しよう。ひどいことを言われても、言った人に感謝しよう。悪くても感謝という言葉を隣に携えている」と語った。
「素晴らしいな〜!」と感じました。
普通、嫌な出来事が起きた時、その出来事の相手に対して感謝することは難しいです。感謝をするどころか「死ねばいいのに!」とさえ思いますよね。
それを感謝できるのは、人生を一つ上の視点で見られているんだと思います。
昨日の記事でも書きましたが、私たちの人生は壮大なVRゲームです。そのゲームの中では私たちが嫌だと判断できる出来事もおきます。私が体験したゲームであれば、パックンフラワーに食べられたり、使徒に食べられたり(食べられてばっかりやな)、岩に激突したり崖から転落したりという経験です。
これらはゲームの登場人物からすれば起きて欲しくないできごとです。でも、プレイヤーの立場なら、どの経験も「楽しい!」のです。ゲームをうまくできようが、下手で失敗し続けていようが、どちらも楽しい!のです。なぜなら、うまくやろうとせず、純粋に経験しようと思って経験しているからです。結果に対する執着はありません。
どっちかというと、うまくいってばっかりの方が楽しくないと思います。マリオカートでいうと、なんの仕掛けにも引っかからず、アイテムもぶつけられず、初めから最後まで1位で独走したみたいな場合です。ゲームはうまくクリアしたと思いますが、楽しさは半減します。
それよりも、相手とぶつかったり、アイテムをぶつけたりぶつけられたり、障害物を避けたり引っかかったりした方が、たくさんの経験ができて楽しさがあります。ゲーム上では鬱陶しかったり問題だったりしますが、ゲームが終わったあとは、その相手や障害物のおかげで楽しめたことに感謝できますね。
私たちが、ゲームの中のキャラクターに成り切っている時、嫌な出来事を引き起こす相手に感謝することは難しいです。キャラクターとしてではなく、ゲームをプレイしている立場になってみるなら、その嫌な相手のおかげで「楽しい!」経験ができていることに感謝できるようになります。
しかし、ここで勘違いしそうになることがあります。それは「相手のおかげで楽しいゲームを経験できているから、相手の言い分を丸々受け入れた方がいいな。」ということです。それは違います。
相手に腹立つことを言われたなら言い返せばいいです。嫌な申し出に関しては断ればいいです。しかし、その体験を一つ上の視点を持って経験しましょう。「自分が断る。」のではなく、「断るというコマンドを選ぶ。」感じでしょうか。
あなたが体験している世界が実在していて、あなたの身体が実在していると思っていると難しいです。本当は実在なんかしていなくて、広大なVRゲームをしているだけだと思ってみるといいかもしれません。
P.S 1万円2万円という高いお金を払って、高い確率で嫌な経験をしに行くところ、それが風俗です(笑)
1件のフィードバック
はじめまして。初見です。
五日市さんという方も同じ事をおっしゃってました。斎藤一人さんもです。
感謝の言葉を言ってる“つもり”に
なっていたのではないか?と
疑問に思いながら読むととても
このブログでは元々あった思考が
元にリセットされる。そんな感覚があり
楽しみになってます。
住宅に関するメルマガを受け取ってますが、お金に関するメルマガも受け取りたいです。学びたい、知りたいというのが強いです(笑)
エラーメッセージが出てしまい
思わずコメントしました、、
よろしくお願いします。