自由とは一体何か?

私たちはみな自由を望み、自由になりたいと思います。自由を手に入れたいと思います。そのために、あれやこれやと努力して、何かになったり、何かを手に入れようとします。

お金がたくさんあれば自由になれる。親元を離れれば自由になれる。職場を辞めたら、仕事を辞めたら自由になれる。離婚して一人になったら自由になれる。子供が独り立ちしたら自由になれる。他にも「〜になったら、〜を手に入れたら自由になれる。」ということがあるでしょう。

私もお金がたくさんあれば自由になれると思っていました。たくさんお金を稼いでいた時、自由になった気がしていました。少なくとも、お金を稼ぐ前に比べるとです。年収何千万あったところで、制限は存在します。1億稼いでもまだ制限は存在するでしょうし、10億稼いでも100億稼いでも同じことでしょう。今まで見えていなかった制限が現れるに違いありません。お金があなたを制限しているわけではないからです。

自由とは、自分が思ったようにできること。好きなことを好きなようにできることです。言いたいことを言い、やりたいことをやる。これが自由です。

なんでもやりたいようにやること。それが自由で、それを手に入れようとたくさんの人がもがいています。しかし、いくらどうもがいても、決して自由は手に入りません。なぜなら、すでにあなたは自由だからです。すでに持っているものを手に入れることはできません。

あなたはすでに自由で、やりたいことをやりたいようにやっています。あなたがそう感じていないとしたら、あなたは「自分」について勘違いをしています。

「自」とは一体何か?

自由という言葉は、「自」と「由」という漢字の組み合わせでできています。「由」とは、「〜によること」という意味です。「自由」とは「自によること」です。では「自」とは?

「自」という漢字は象形文字で、「鼻」を指しています。

どうして「自」という文字が鼻からきているのでしょうか?これは面白い実験で知ることができます。

ダグラス・ハーディングという人の「頭のない方法」という実験です。やり方は簡単です。見えるものを指差していきます。まずは、目の前にあるスマホやパソコンを指さします。そこに見えるのはスマホやパソコンのはずです。次に、自分の足を指差してみてください。足が見えるはずです。次に膝を指差して、お腹を指さします。それぞれ、膝とお腹が見えるはずです。最後に鼻を指差してみてください。そこに見えるのはなんでしょう?あなたが見ているのは鼻ではなく、世界のはずです。あなたが今指を指している先には、普段あなたが自分がいると思っているところです。そこを見ようとして見えるものは世界です。つまり、あなたを見ようとして見えるものは世界、ということはあなた=世界ということが言えます。

しかし、カメラがカメラを映すことができないように、目が目を見ることができないように、自分で自分のことをみることはできません。あなたが見ている世界は、あなたが鏡、スクリーンに映し出されたものです。

あなたの世界は、あなた自身の鏡に写った姿をあなたが見ているということです。

「自」という字の成り立ちが、なぜ鼻の象形文字なのかがわかったと思います。鼻を指差せば見えるもの、それが「自」。それは世界であり、すなわちあなたです。

本当の自由とは?

見えるものもあなたの姿です。もちろん、聞こえるもの、感じるもの全てがそうです。どれもあなた自身の反映です。全部があなたの反映、あなたが映し出されたものです。

さて「自由」とは「自によるもの」でした。

全ての全てが「自」、つまりあなたの反映なので、全てが「自によるもの」すなわち自由です。

あなたがこの文章を読むことも「自(あなた)に由るもの」です。この文章を読んで「そんなのが自由だなんて信じられない!私は全然自由なんかじゃない!」という考えが浮かんだとしても、それも「自由、あなたに由るものです」

本当の自由とは、全部が自分の反映であることを認識することです。

あなたは一体何か?

あなたは今まで、浮かんでくる思考、身体、感情を自分だと思っていたはずです。それは、あなたのごくごく限られた一部に過ぎません。実際は全部があなたの反映です。

あなた自身はこの世界にはいません。なぜなら、自分自身を認識することはできないからです。認識できるならそれはあなた自身ではないということです。世界を認識できるなら、世界はあなた自身ではないということです。

あなた自身はこの世界の外にいて、あなた自身をこの世界に映し出して、あなた自身を表現しています。表現とは、表に現れるということです。世界はあなたが表に現れたものです。しかし、鏡に写ったものは実態ではありません。ということは、この世界は存在せず幻だということです。

映画の脚本家や監督が、漫画の作者がスクリーン上に、紙の上にどんなものでも描けるように、あなたもスクリーン上(目を瞑ればいつでもそこにある)にどんなものでも映し出すことができます。あなたがあなたの人生の作者です。それは、どんなものにもなれますし、どんなことでも起こせます。

もちろん、あなたが今まで自分だと思っていたキャラクターにはなんの力もありません。それは、あなたの表現の一部に過ぎませんし、与えられた役割を演じることしかできません。でも、そのキャラクターはあなた自身ではありません。

なぜ、束縛を感じるのか?

それは、あなたがあなたのキャラクターを自分自身だと勘違いしてしまうからです。あなたのキャラクターには全く自由はありません。与えられた台本通りに演じることしかできませ。だから自由がないと感じるのです。

キャラクターが行動する前には、反射的なものを除いて思考があります。思考がやってきて、それに従って行動がとられます。思考をコントロールすることは、行動をコントロールすることだと言えますが、キャラクターに思考をコントロールすることはできません。ただどこからかやってきた思考を「自分が考えている」と勘違いしているだけです。その証拠に、思考を1分間止めることもできなければ、同じことを1分間考え続けることもできません。やろうと思っても、すぐできないことに気づくでしょう。思考はキャラクターにコントロールできるものではありません。

もちろん、どんな思考もあなたの表現の一つです。あなたが思考を起こし、あなたがキャラクターを動かします。あなたが感情を表現します。他人や天気を動かしているのもあなたです。キャラクターではありません。

キャラクターには何もできません。どんな映画の登場人物も、漫画やアニメのキャラクターも、台本に何も書かれていなければ何もできませんし、台本に書かれていること以外は何もできません。キャラクターが何かをしているように見えても、それをしているのは作者です。キャラクターは何もしていませんし、何もできません。

だから、あなたが「自分はこの○○という身体を持った人間である。」という勘違いをすると、束縛を感じて「自由になりたい。」という願望を抱くようになります。勘違いをしなければ、あなたは最初から自由なのです。

なんでもできるのに、なぜこんな経験をするのか?

あなたのキャラクターは、あなたの人生に何かしらの不満を持っているでしょう。そして、その不満や問題を解消したいと思っているでしょう。願いを叶えたいと思っているでしょう。不満や問題を解消するため、願いを叶えるためにあれこれ努力しているかもしれません。避けたい勘違いは、問題や願望を持っているのはキャラクターであり、あなたではないということです。あなたに問題があるはずがありません。叶えられないことはないので、願望を抱くこともありません。全部実現させられる、正確にはすでに全部を実現させているからです。

自分がなんでもできるなら、どうしてこんな問題を抱えるようにしたんだろうか?どうして叶わない願いを持たせたりするんだろうか?そう思われるかもしれません。

なんでもできるのに、わざわざ問題を持ったり、キャラクターが苦しんだり悲しんだりする出来事を起こるようにするのは、そうしたいからです。それ以外にありません。何が起こったとしても、あなたがそうしたいからしていることです。あなたが自分を自由に表現しているのです。キャラクターの経験を通して、たくさんの種類の感情を感じたいと思っているのです。いろんな形で自分を表現して、自分を知りたいと思っているのです。

あなたが経験することがなんであれ、それはあなたがやりたいことをやりたいようにやっているということです。つまり、あなたはすでに自由なんです。

あなたが自由を感じたいなら、「私はこのキャラクターだ」という勘違いをやめることです。そして、あなたが本当はなんであるかを認識し、経験してください。

徳島県 八百萬神之御殿の桜

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