殺人サスペンスドラマの舞台裏はどうなっていますか?

殺人サスペンスドラマの舞台裏はどうなっていますか?

「殺してやる〜!」
と言うかどうかは別にして、人を殺すようなストーリーのドラマ、映画がありますよね。
それを見ていると、「人を殺す何でひどい!」という気持ちになります。感情移入して、殺人犯のことを不快に思ったり殺された人のことを哀れんだりしながらテレビやスクリーンを見守ります。

ストーリーの中では殺す人は殺される人を憎んでいるでしょうし、殺される人は殺す人のことを恨むでしょう。

でも、ドラマの撮影や映画の撮影が終わった後、もしくは撮影中でも舞台裏を覗いてみるとどうなっていると思いますか?

殺す人も殺される人も一緒にドラマ、映画を作るために協力しているはずです。また、一緒にご飯を食べたり仲良くしているかもしれません。

これは一体どういうことでしょうか?
映画の中では恨んだり憎んだりするような関係だったとしても、実際にはそんなことは一切なく、むしろドラマ、映画を作るために協力するしている人同士です。ドラマや映画の中では敵同士でも、実際は仲間だということです。

これが、ドラマや映画の中と現実の区別がついていないと、撮影が終わった後でも「あいつ、俺のことを殺しやがって!」とか「私の夫を奪った目狐、許さない!」という風に訳が分からないことになってしまいますよね。

でも、このわけが分からないことが私たちの生活では頻繁に起こっています。どういうことでしょうか?
私たちが人生だと思っているものは、実は私たちが普段見る映画やドラマ、ゲームと何ら違いありません。作り物であり現実のものではないのです。もっと深いところまで知ると、すでに人生自体は終わっていてそのプレイバックを見ているだけらしいです。

それはいいとして、私たちの人生も映画でありドラマ、つまり実際とはなんの関係もない舞台で行われている演技なわけです。私も、あなたもあなたが関わる人も全員、あなたの人生という映画の登場人物であり役者です。忘れがちですが、あなた自身も映画の中の登場人物であり役者。主演男優、女優ですね。

あなたが生活する上で、あなたをイラつかせる人、悲しませる人、怒らせる人、いろんな不快な気持ちにさせる人、たくさんいるでしょう。その人たちは演技をしているだけです。実際の姿ではありません。しかも、その演技をするように頼んだのは紛れもなくあなた自身です。もちろん、そんなことは覚えていませんし、私も覚えていません。

では、一体何のためにあなたはわざわざいろんな人があなたをイラつかせたり不快な気持ちにさせるような台本を書いたのでしょう?その目的はたった1つ、あなた自身が成長し、本来の姿へ戻っていくためです。本来の姿には幸せ、愛、喜び、楽しさ、豊かさ、自由、感謝以外のものはありません。つまり、あなたがイラつくのを乗り越える度に、本来の姿である幸せ、愛、喜び、楽しさ、豊かさ、自由、感謝に近づいているということです。

そう思うと、ムカつくヤツにも感謝できるようになりますし、「これは自分が台本を書いた通りに演じてくれているだけだ。」と思えるようになるので、そこまで腹が立たなくなります。もちろん、そこであなたが腹を立ててもあなた自身も映画の出演者だと思い出すことができれば、自分のことを責めたりしなくてすみます。「こういう台本だったんだな。」で終わりです。

奇跡のコースでは、この宇宙を作っているのは巨大な罪悪感で、それを自分以外に投影することで成り立っているとしています。そして、その巨大な罪悪感を解体していくことで本来のあなたである経験が増えていくとしています。

そのため、自分以外の人に対して「あいつが悪い。あいつに罪がある。」と思っていたり、自分自身に対して「自分には罪がある。自分が悪い。」と思っている限り、罪悪感を強化するようになり、罪悪感を感じるシナリオがずっと続きます。

映画の中で殺人犯役を演じた人が実際にはなんの罪もないように、本来のあなたにはなんの罪もありません。バトルロイヤルという映画で生徒を殺す演技をした北野武自身になんの罪もないように。これは映画でありドラマであり、本来の自分にはなんの罪もない、本来のあの人にもなんの罪もないと認識していくことで投影されている罪悪感が解除されていきます。

あなたという役柄ではなく、本来のあなたという視点であなたの映画、ドラマを見てみましょう。

P.S 演技は演技でも、気持ちいい演技をされるのはとても萎えます(笑)

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