本来の見方をすれば何も判断できない

見るもの聞くもの触れるもの、全部自分であり自分ではありません。鏡に写った自分の姿であり、自分自身ではありません。

全部自分なので、何かの部分を「こうだ!」と判断すると、判断したものとそうでないものが生まれます。例えば、自分の体や思考や感情を「自分だ!」と判断すれば、それ以外ものは自分じゃないとなります。これが分離です。

何かに名称をつけるのもそうですし、「いい」「悪い」の判断もそうです。何かについて「こうだ」という判断を下した瞬間、そうじゃないものとの分離が生まれます。これが切り離されている感を生みます。

本来の見方で見れば、何も判断できません。何かを判断した瞬間、自分と自分じゃないものが生まれるからです。「いい」という判断が「悪い」を生みます。言葉を使うことができません。言葉は何かを指し示すためにあるからです。全てが自分なのに、何を誰に指し示すことができるでしょうか。

ただ、言葉を使わないとあなたというキャラクターが生きていくのは難しいでしょう。そこで、大事なのは本当のことではないという認識です。言葉を使って、これが自分だ、あれは車だ、これが好きだ、これはいい、悪い、などという時、便宜上そうしているだけであって、本当に独立した自分や車、いいことや悪いことがあるわけではないという認識を持っておきます。

それぞれの指に人差し指、中指という名前はついていますが、それらは手の一部であり、親指や薬指が独立して存在しているわけではありません。それと同じです。

映画やドラマ、漫画、小説にはいろんな場面、登場人物、ものが現れます。そのどれもが物語を構成する素材であり、それらが組み合わさって一つのストーリーになっています。

「いい」や「悪い」の判断。これらはアテになりません。「いい」と判断した出来事や状況が「悪い」のきっかけになるかもしれませんし、「悪い」と判断した出来事や状況が「いい」のきっかけになるかもしれません。「いい」が「悪い」を生み、「悪い」が「いい」を生むからです。

何も判断できない。何も分からない。分からないというのは分けられないということ。分けられないということは、全てが自分だということ。しかし、全てが自分であると同時に自分ではありません。光が粒子であり波でもあるように。何も「こうだ」と決められない。判断できない。これが答えです。

 

P.S セックスなんていうのはすごいジョークですよね。元々一つなのに、身体を合わせて一つになったフリをするっていう感じですね。まぁ、大好きなんでやりますけど(笑)

香川の絶景

〜まんのう公園、琴弾公園、高屋神社〜

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