私たちが通常、何かをする時の動機は「いい」からする。そしてしない時の動機は「悪い」からしないです。つまりは、「いい・悪い」で何をするかどうかを決めています。
しかし、「いい」も「悪い」も想像上のもので幻想です。全てがあなたの表現ですから、何かについて判断することは根本的に不可能です。
「いい」や「悪い」の判断をしなくなった時、何かをする、しないの動機は「したい」「したくない」になります。したいからする。したくないからしない。それだけになります。
何かを得られるからこれをするというのも「いい・悪い」の判断からきています。何か、お金や何かを得られるのが「いい」という判断、もしくは、お金や何かを持たないことや失うことは「悪い」という判断から起こっています。
そういう判断がなくなると、「したい」「したくない」で行動できるようになります。
得ることや失うことから卒業するのは、やはり全部が自分の表現だということを認識することです。何かを見たり聞いたり感じたりしている問いことは、それもあなたの表現の一つなわけですから、すでに持っているわけです。
これを、あなたの思考、身体があなた自身だと思うと「私はそれを持っていない。」という判断にならざるを得ません。
全部が自分の表現だと認識するためにできることはあるでしょうか?そんなものはありません。あなたが目に見えるものや聞こえるものをどう判断しようが、それがあなたの表現であることは変わりません。だから、できることはただ「全部自分の表現なんだな。」と認めることだけです。
意味のない判断を徐々に止めていく方法ならあります。それは、何かに対して「いい」や「悪い」の判断を志向が下そうとする時、それに対して疑問を持ってみることです。「本当にこれはいいことなんだろうか?」「これは悪いことなんだろうか?」「いいや悪いと判断することができるだろうか?全部自分だから比較対象すら存在しないのに」と、判断に疑問を持ってみることです。そうしていれば、今まで自信満々に判断していたものが、少しずつ判断しなくなっていき、最後には起こることをありのまま受け取れるようになるでしょう。
気をつけたいのは、判断することを判断しないことです。「いい・悪い」と思考が判断することに対して「判断することは良くない。」という別の思考が判断をすることです。そうなるともう堂々巡りになります。
判断することはいいことでも悪いことでもありません。その判断を信じて真に受けるか、真実ではないことを知って受け流すのかを選ぶことができます。どちらを選択してもそれに伴った経験をするだけです。どっちの方がいいとか悪いというのはありません。しいたけ(私はしいたけが嫌いです)を食べるのが嫌なら、違う料理を注文しましょうということです。
P.S 思考が下す判断と同じように、風俗嬢の写真やプロフィールが真実であることはありません(笑)