「もうパパ!1年生はイヤ!はやく中学生になりたい!」
とか
「はやく大人になりたい!」と最近息子がよく言います。
それに対して「そうやな〜。気持ちは分かるけど、少しずつじゃないと大人になれんのよ。」「1年生の次は2年生って1つずつ進んでいくんよ。」と回答しています。
子どもには時間の概念が無いようなので、社会で決まっている時間の区切りは理解できないんだと思います。(そもそも時間というもの自体存在しないので子どもの認識の方が正しいのですが)
息子に回答した後、こう質問されます。
「え〜、なんで〜?」
これに対してはもう答えることができません。
さて、私たちは「早く40歳になりたい!」とか「早く定年を迎えたい!」ということはあまりいわないと思います。しかし、同じ様な意味合いのことは普段から言っています。
それはこういうことです。
「早くお金持ちになりたい。」
「早くあれを実現したい。」
「早くあの問題を解決したい。」
「早く幸せになりたい。」
というやつです。
これらをまとめると「今の現状はイヤだから、早く次のシーンに進んでくれ」ということです。
満たされていないと思えることが多いほど「早くここから出してくれ!」という気持ちが大きくなります。
しかし、皮肉なことに「早くここから出してくれ!」と思っているほど出してはくれないのです。なぜか?まだそこで見るべきもの、クリアすべき課題が残っているからです。バラモスを倒していないのに「俺はゾーマと戦いたいんだ!」といくら叫んでもバラモスを無視してゾーマと戦うことはできません。
では、どうすれば課題をクリアして次のシーン、次のステージに進めるでしょうか?それは、今あなたが置かれている状況に感謝し、満足し、幸せになることです。そしてそれは「早くここから出してくれ!」と思ったときに出てくる気持ちをひたすら感じきることで達成できます。
今あなたが置かれている状況や問題に対して不快感を覚えるということは、その状況や問題との距離が近いということです。そして出てくる不快感が強いほど、より状況や問題に近づいています。
あなたが「お金が無い!」「支払いができない!」「支払いができなくなったらどうしよう!」と不快感を感じているとき、あなたは実際にその状況に置かれていて、その問題に関わっていると思っています。
ところが、出てくる不快感を感じきるなり解放し続けるなりしていくと、少しずつその状況や問題に対して距離ができるようになってきます。それに伴って、状況は変わっていない問題は解決していなくても出てくる不快感が減ってきます。そして最終的には「この状況や問題を経験しているわけではなかった。」という気づきが起こります。
たとえて言うと、ずっと自分がバラモスと戦っていたと思っていたけど、よく考えてみたら自分はバラモスと戦う勇者を操作しているだけだったということに気づくと言うことです。
経験がある人は分かると思いますが、ドラクエなどゲームで強い敵と戦っているとき、まるで自分がその敵と戦っている時のように感じます。ダメージを受ければまるで自分が傷ついたかのように悔しがり、やられそうになるとハラハラします。やられると「クソ!」と叫んでコントローラーを投げてしまうくらい怒ります。
しかし、勇者がいくらバラモスに痛めつけられても、コントローラーを握っているあなた自身は傷ついていませんよね。勇者と自分の意識を同一化していると、勇者がダメージを受けるときに悔しかったりという気持ちが出てきます。
それと同じで、お金が無かったり足りなかったり無くなるという状況を「私が経験している」と思うと、強い不快感が出てくるでしょう。お金が無くなったり足りなかったり無くなったりすると、自分が不幸になる、もしくは幸せじゃなくなると思うからです。でも、そういう状況を「見ている人」の立場に立てば、映画の登場人物のお金があろうが無くなろうが、見ている人が傷ついたり不幸になったりすることはありません。
状況や問題から出てくる不快感を感じきることで、「見ている人」の立場へ近づくことができます。あなたが「見ている人」の立場に立つと、その状況や問題に対して何の気持ちも出てこなくなります。そうなると、その状況や問題はおしまいです。自然と解決に向かいます。
ちなみに、不快感を感じきらなくても状況や問題が解決したように見えることがあります。しかし、それは表面的に解決しただけであって根本の原因は残ったままなので、形を変えて同じ様な問題が起こります。
不快な気持ちはできたら出てきて欲しくないと思いますが、あなたの「早くここから出してくれ!」という願いを叶えるために出てきてくれていると思えば、前向きに捉えることができるのではないでしょうか?
P.S 私のムスコはよく勃起して「早くここから出してくれ!」とズボンの中から叫んでいます(笑)