認められたいっていうのは愛されたいっていうことですね。愛とは無条件に認めることだからです。でも、たくさんの人が満たそうとしている承認欲求って、条件付きですよね。何かすごいこと、特別なことができるから、あるから私を見て、私を認めてって感じですよね。
もし仮に、あなたが宇宙であなたしかできないことをやってのけて、全世界の人から「すごい!」「素晴らしい!」と言われたとしても、何の意味もないです。
まず、大前提として見るもの聞くもの感じるもの全て自分の表現です。ということは、誰かがあなたのことを「素晴らしい!」と言ったところで、それはその人がその人自身のことを「素晴らしい!」と言っているだけです。あなたに言っているわけではありません。
AさんがBさんの悪口を言っているように見えても、Aさんが見ているのはAさん自身あので、Aさんは自爆しているだけってことです。それを知っていたら、誰かが誰かの悪口を言っているのを見るのが面白くて仕方なくなります。まぁ、誰かもいませんし、悪口もないのでそれもストーリーに過ぎませんが。
だから、誰かに認めてもらう、愛されるっていうのは原理的に不可能なわけです。それを満たそうとするから永遠に満たされないんですよね。
そもそも、認められてないって判断する前は、認められていないという考えを信じる前は認められてなかったんでしょうか?
認められたいということは、認められていないという考えを採用しているから感じることですよね。愛されていないということは、愛されていないという判断を採用しているということですよね。
それらの判断や考えを採用する前はどうだったんでしょう?認められていないと判断していないのですから、認められているわけですね。
認められている状態から、何かしらで「認められていない」と判断して、それから「認められるための条件」を自分で設定して、その条件を満たすためにせっせと行動して、条件を満たしてやっと認められる状態になるのです。
ただ振り出しに戻ってきただけですよね。
そういうことをしたいのであればいいんですが、そうでないのであれば「認められていない」という判断を取り下げればいいだけですね。でも、気をつけたいのは「認められたい」という判断をなんとかしようとするのは、その判断が実際に存在すると認めることになるので、いつまでもどこにもいかないです。
ただ「認められている」と認識を変更するか、それか思考が語るストーリーは全て嘘で、でっち上げだということを知るかですね。思考が語るストーリーは全て嘘だということについて詳しくは昨日の記事を読んでください。
何か特別なことができないといけない、何か変わったことができないといけない。他と違わなければいけない、必要最低限のことはできないといけない、何もしていないのはいけない、愛されないというのは全部嘘です。
なぜなら、生まれたての赤ちゃんはそれらのことは全部できません。それでも、認められて愛されて、必要なことは全部やってくれるじゃないですか。それが、なぜ今は違うんでしょうか?
P.S ムラムラしていない状態からムラムラが起こり、おかずを探してシコってティッシュで処理してまたムラムラしていない状態に戻るみたいなことです(笑)ムラムラは生理現象なので承認欲求とはちょっと違いますけど。