小学生時代のエピソード

小学生の時に起こった出来事で覚えているものを書きました。タイトルをクリックすると、そのエピソードを読めます。

私は結構体が弱く、すぐ病気をする方でした。

小学1年生の時も風邪がなかなか治らないのでよくよく検査をしてもらうと、肺炎ということがわかりました。

1週間入院が必要だと言われて、病院内で「入院や嫌じゃー!」と泣き叫んだのを覚えています。

市民病院に1週間入院するのですが、暇だろうということでゲームボーイを買ってもらったような気がします。

4人部屋くらいの部屋で、他にも入院している子供がいたのですが、強者はファミコンを持ってきていて、病室のテレビに繋いでひたすらやってました。

小学1年生か2年生くらいまでは虫を捕まえるのが好きでした。バッタやらカマキリやらをよく捕まえては、ガンダムのプラモの箱にキリみたいなので穴を開けて飼っていました。

よく取ったのを覚えているのは蝶々の幼虫です。葉っぱの上にいる幼虫をゲットして、これまたプラモの箱に入れて飼っていました。一度も孵化したことはないように思います。それだけです。

小学2年生の時、給食でりんごが出ました。

当時私は超偏食で、あまり食べられるものがありませんでした。当時はまだ給食は残さず食べましょうという圧力が強かったので、食べられるものは頑張って食べていましたが、それでも嫌いなものはたくさんありました。

その中でもりんごや梨が嫌いでした。味は大丈夫なのでリンゴジュースは飲めるのですが、あのなんとも言えない食感が嫌いだったんです。今も嫌いですけど。

その日、給食に出たりんごをどうしても食べたくありませんでした。そこで、口に含んで後でトイレに捨ててやろうと考えました。

「ごちそうさまでした。」の合図の後、すぐさまトイレに駆け込み、大便器に「ペッ!」とりんごを吐き捨てました。

その後、40代で小太りの斉藤先生という当時の担任の先生に呼ばれ、廊下の一角でりんごを吐いたことを永延と説教されました。

なぜバレたのかわかりませんでしたが、口が大きく膨らんだままになっていたのを見られていたのかもしれません。斉藤先生もりんごも嫌いです。

これは小学2年生か3年生くらいの時です。その時「お前は足ぐせが悪い」と言われるほど、足をよくぶらぶらしていたんですね。

冬場はこたつを出すんですが、コタツの真ん中にあるヒーターの部分をコツコツ足で蹴る癖があったんです。それを「やめろよ。」と注意されるのですが、やめられませんでした。

するとそのうち「出ていけ!」と母親に言われて、出て行くことになりました。

時間は16時かそれくらいだったと思います。弟と二人出て行かされ、歩いて行ける友達の家に行きました。中島くんの家です。

そこでの会話などはよく覚えていませんが、中島くんのお母さんに出ていけって言われたと話したんでしょうね。

すぐに中島くんのお母さんが家に電話をしてくれ、無事帰ることができました。

私の母親は家から放り出すのが好きでした。何か気に入らないことがあると「出ていけ!」と言って締め出すのです。

小学2年生くらいの時です。私が何か母親の気に入らないことをして「出て行け!」と言われたことがありました。

その時、弟は「かわいそうだから家に入れてあげて。」と母親に懇願したそうです。私は見ていないので知りません。

別の日、今度は弟が母親の気に入らないことをして締め出しを食らっていました。私はスーパーファミコンのマリオに夢中でした。

すると母親が「お前が締め出された時はあんなに庇ってくれたのに、お前は何もしてやらんのか?」と私に言ってきました。

それに対して私は「いらんことしたんが悪いんだろう。知らん。」と言いました。

母親は「お前は薄情なやつやな。名前負けしとるわ!」と私に言い放って弟を家に入れていました。

まぁ、確かに薄情やなと思いますが、そもそも小さい子供を夜に外に放り出す方はどうなんだろう?って今なら思います。

小学2年生の頃、近所に住んでいる奥藤くん(確か3つか4つ年上)と一緒に近くの公園で遊んでいました。その公園にはブランコとジャングルジムがあり、ブランコで遊んでました。もうその公園自体無くなってしまいましたが。

ブランコを高く漕ぎ、どこまで飛べるか勝負をするという遊びをしてたところ、着地に失敗して右肘から着地してしまいます。バキッという音とともに激痛が走り、「ギャァァァァ!」と泣き叫びました。

乗ってきた自転車を片手で押しながら、奥藤くんに支えられて家に帰ったのを覚えています。

小学1年生か2年生の時です。夏場、学校から帰ってきて暑いのでアイスを食べようと冷凍庫を覗きました。

当時、アイスは母親の許可を得てから食べないといけないみたいな決まりがあったように思います。

でも、母親はいないしアイスは食べたいしで、冷凍庫をのぞいていたわけです。すると母親が帰宅、慌てて冷凍庫を閉めるも冷凍庫を見ていたことはバレてしまったようです。

母親に「何しよん?」と聞かれたので咄嗟に「今日の晩御飯何かなと思って、、、」と言い訳しました。怒られると思ったので、怒られずに済む言い訳が出てきたんでしょうね。

母親は怒らず「晩御飯何かわかったか?」と聞き返してきましたが、わかるはずもないので「わからん。」と言って終わりました。

後日、素直にアイス食べたいと言ったら何も怒らなかったのにと母親に言われましたが、当時の私はとにかく怒られることを避けよう避けようとしていたので、素直に言えばいいなんて夢にも思いませんでした。

小学2年生くらいの時です。家が近所だった谷田くんとちょこちょこ遊んでいました。遊ぶ時は私と弟、谷田くんとその兄の4人で遊ぶことが多かったです。

谷田くんの家の周りは田んぼだらけで、カブトエビを取って遊んだりしてました。

この谷田くん、結構ヤンチャな子なんです。ある時、弟を水が張ってある田んぼに突き落としました。弟は泥まみれ。それを見た私はとっさに谷田くんを田んぼに突き落としました。

普段から特別弟が大事だとか、守ってやらないとなどは思っていませんでしたが、何か「家族を攻撃された。」みたいな判断が働いたんだと思います。

小学1年生か2年生くらいの時です。その日は土曜日か日曜日で学校がない日でした。

私の家では、土曜日や日曜日のお昼はインスタントラーメンなことが多かったです。

事情は覚えていませんが、その時は私一人ダイニングキッチンでラーメンを食べていて、他の家族は隣の居間にいました。

寂しがりやの私は、みんなと一緒にいたいと思いました。そして、ラーメンの丼を持つのですが、持ち方を知らないのでうまく持てません。熱くないところをうまいこと持つのではなく、手のひらを丼全体に当てて持って運んでいました。

当然激アツです。落としたらダメなことはわかっていたのですが、なんせ熱い。ダイニングキッチンから居間までは子供の足で10歩ほどでしょうか。1歩2歩と熱さに耐えてラーメンを運びますが、居間に差し掛かった時に限界を迎えます。

「あ、あ、アツー!!」という言葉と共に、丼を前に放り投げてしまいました。その先にはコタツ布団。結局ラーメンは全部コタツ布団が食べてくれました。

こんなことをすると大目玉を食らうのが通常ですが、その時はなぜか怒られませんでした。

小学2年生くらいの時です。お菓子を買うのに、家から歩いて3分くらいの距離にある吉兼酒店によく行っていました。

よく買うお菓子は十円のいちご味のガム、それからめざせまるきんちょこです。どっちも当たり付きなんですよね。

その日もいちご味のガムと、めざせまるきんちょこを買いました。買ったすぐ店の前で食べます。すると、いちご味のガムが当たります。すぐお店の人に当たりを交換してもらいました。

あたりで交換してもらったガムも当たり、また次もあたりというのを10回くらい繰り返しました。もちろん、コピーしたとかそういうのではありません。お店の人もびっくりしていました。

ちなみに、めざせまるきんチョコは当たりが出ると最大で1,000円当たったような気がしますが、一度も当たったことはありません。

小学3年生の時です。掃除の時間に教室を掃除していました。

その時、私はベランダで雑巾を絞るか何かしていたのですが、ふざけた友達が窓ガラスの鍵を閉めて私を締め出しました。遊びでやっているので、すぐ開けてくれました。

その後、鍵を閉めた友達がベランダに出たので、仕返してやろうと思い、鍵を閉めたところを先生に見つかりました。

結構キツく怒られたのがショックというか、「なんで自分だけ怒られるのか?」というのが納得できなくて、次の日から学校に行きたくないと話しました。

親はそれだったら休みたいだけ休んだらいいと言ってくれたので、1週間ほど学校を休むことができました。

今から思えば、先生に怒られた時に「自分もされたので仕返ししました。」って言えばよかったなと思いますが、当時は言いたいことを言えない子だったんですね。特に怒られているような時には。

登校拒否している間、先生が2〜3回家に訪ねてきてくれたことを覚えています。

幼稚園の時にとても好きだった女の子がいました。記憶はないんですが、「将来結婚する〜。」と言い合うくらい仲が良かったようです。それから、4年生までは一度も同じクラスにはならず、好きな気持ちも無くなっていました。

そんなある日、全校集会か何かの時にその子が目に留まり、ふと「俺あの子が好きだったんよ。」と友達に言ったのを「え?あの子が好きなん?」と勘違いされて大騒ぎされました。過去の話をしたつもりが、今好きなんだと勘違いされて大騒ぎされた結果、その子のことをとても意識するようになって、実際に好きになってしまいました。意識を向けたり思い込んだりする力って怖いな〜と思います。

小学校4年生の時からバスケ部に入っていました。当時やっていたスラムダンクという漫画に憧れたとかそういうのは全くなく、ただ単にふと「バスケやってみたい」と思っただけでした。

私がバスケ部に入った後、同じ学年の友達も結構入ってきてくれました。私が誘ったのもあります。はっきりとは覚えていませんが、15人か20人くらい入ってくれたように思います。

友達同士で仲良くバスケをやっていたのですが、ある日突然同じ学年の友達が私にかなりキツく当たるようになりました。

今も当時も何がきっかけでそうなったのかは全くわかりません。

集団で罵声を浴びせられたり、ボールをぶつけられたりしました。何ヶ月かそういう状態が続きましたが、親にも誰にも言わずにひたすら耐えていました。

4年生が終わり、5年生になってクラスの発表があります。そのクラスにいじめの主犯格がいました。「うわ、最悪や。バスケだけでなしに、学校の中でも同じことされる。」と思っていました。

ところが、その主犯格は「同じクラスやなぁ〜!やったぁ!」みたいに、何事もなかったかのように声をかけてきました。以降、それまでやっていたいじめのようなことは全くなくなりました。あれはなんだったんだろうといまだに謎です。

これも4年生の時のバスケの話です。その時、練習前に体育館の周りを10周走ってから練習をスタートするという決まりがありました。

それをやりたくなかったんですよね。しんどいし。そこで「もう走ったことにしよう。」と思い、ランニングをせずに体育館へ入りました。

するとすでに6年生が一人いました。白石くんといって、バスケ部と野球部の両方に入ってる「スポーツに命かけてます!」みたいな子でした。雰囲気が殺気立ってるんですよね。

で、体育館に入るなり「お前ランニングしてきたんか!」と言われました。私は咄嗟に「してきました。」と嘘をつきました。嘘はバレませんでしたけど、体育館には殺気立っている白石くんと私の二人のみ。

ド気まずい感じで、みんながランニングを終えるのをただひたすら待っていました。これだったらランニングしたほうが良かったと思ったので、次の日からは真面目にランニングするようになりました。

5歳でAVを見て以来、エロに関することには興味津々でした。義理の父親が漫画好きで、たくさんの漫画が家にありましたが、その中からエロいシーンがある漫画を見つけてきては読んだりしてました。

そのうち、母親がレディースコミックを買うようになりました。当時はレディースコミックなんていう分類はしてなくて、ただのエッチな本だと思っていましたが。

母親が買い物とかに行っている隙を見計らって、寝室を探して隠してあるレディースコミックを見つけるんですよね。それをこっそり読むわけです。

読みたいけど、読んではいけないような気がしますし、何せ母親が隠している本を見つけて読んでいるわけですから、見つかったら怒られると思います。ていうか怒られました。

見たいけど怒られたくない。そこで私は弟のせいにしました。今思えばなかなかのクソ野郎ですが、それで弟は濡れ衣を着せられて怒られていました。でもまぁ、逆なこともあったのでお互い様といえばお互い様です

漫画の中にエロい描写があったり、レディースコミックを見たりすると、フルボッキします。

でも、その処理の仕方が全然分からずに、ただ悶々として終わるだけでした。

ところが、小学4年生の時、読んでいたレディースコミックのコマの一つにちんこを握って手を上下に動かす描写がありました。「もしかしたらこれは、、、」と思って、親が寝静まった後にやってみると「気持ちいいぃ!」となりました。その当時はイクこともわかっていないのですが、イッたあと、必ず何かすごく悪いことをしているような気がして「こんなこともうやめよう。。。」と思っていました。

それでも、あのやめようっていう誓いはどこに行ったのかと思うほど毎晩のようにしていました。するたびに「もうやめよう。」って思うんですよね。

今では微塵も悪いなんて思いませんけど。

これは小学5年生くらいの時です。

その日の晩御飯は家で食べるスパゲティーでした。普通に食べていたんですが、8歳離れた3歳の弟はスパゲティーを食べ慣れていないんでしょうね。麺を口にいれすぎたか、詰まって「おえっ!」とえずいてしまいました。

すると母親は、不味いから餌付いていると勘違いをして弟に「不味いんだったら食わんでええわー!!!」と怒鳴りつけていました。

弟は泣きながら「ごめんなさい。」と謝って、引き続きスパゲティを食べていました。

でも、やっぱり食べるのが難しいんでしょうね。またえずいて母親を怒らせてしまいました。すると「出て行け!」と言われ、弟は外に放り出されました。

放り出されてすぐ、父親が帰宅したので連れて入ってこられ、また謝ってスパゲティを食べていました。

3歳の子供がスパゲティを上手に食べるのは無理なのか、またまた「オエッ!」とえずいてしまいました。今度は「またかー!!」と怒鳴られ、また外に放り出されてしまいました。

外に放り出された弟は家に入ることを諦めたのか、トボトボとどこかに歩いて行っていました。しばらくして玄関のドアに所に弟がいないことに気づいた母親は外に出て弟を探します。見つけたと思ったら「どこに行くんな!!」と言って弟を怒り、頭をどついていました。

私はエロも好きでしたが、それと同じくらいゲームが好きでした。今はもうないゲーム専門店にもよく足を運び、小遣いやお年玉をゲームに使っていました。

欲しいゲームがたくさんって、自分の小遣いやお年玉では足りないことがあります。小遣いは足りないけど欲しいものは欲しいのです。

私とは違い、弟はそこまでゲーム好きではありませんでしたし、小遣いやお年玉もを結構残している方でした。

私はそのことに目をつけ、弟をうまく言いくるめてゲームを買うのに半分お金を出させるということをやっていました。自分だけのものじゃないというのは気に入りませんでしたが、それでも手に入らないできないよりはマシです。

今思うとクソ野郎だと思いますが、もっとよくないのは手に入れるためには自分であれこれしないといけないと思ってたい事だな〜と思います。

私の家は性教育が盛んな家でした。ますかきなどのワードも、気になれば親に聞いて、普通に教えてもらえました。

自分でもそれをもとに、国語辞典で「オナニー」や「自慰」などの言葉を調べてニヤニヤしていました。

小学6年生の時です。私の友達が家に来ている時に4歳の弟が「ますかき」「ますかき」と連呼していました。友達は意味を知らないので「ますかきって何?」と聞いてきます。意味を教えるとめちゃくちゃ笑っていました。

それが面白かったのか、その友達は学校でも「ますかきって知っとるか?」と色んな人に意味を教えて楽しんでいました。男子女子関係なく、挙げ句の果てに先生にまで聞いていました。

これは問題になったようで、ある社会の授業の時間に、ビデオ撮影が趣味のロリコン福富先生が、生徒一人ひとりに「そういう言葉が流行っているみたいだが、誰に聞いたのか?」と聞いていきました。

クラス35人くらいいたのですが、そのうち8割くらいが「中川くんです」と答えました。まぁ確かに私も言いふらしてはいましたが、主犯ではありませんでした。きっと、言いふらす時に「中川から聞いたけど」と添えていたから、私から聞いたようなことになってたんだと思います。

この出来事は特に嫌だったとかそういうのではないですが、これを皮切りに下ネタといえば中川と思われるようになりました。

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