質問をいただいたので回答します。
質問はこちらです。
お金に関してはかなり意識せずに生きられているのですが、 そのように出来ている理由は自分の幸せの糧である子供や妻がいるからです。家族をいてもいなくてもいいやとはどうしても思えず、中川さんも特にお子さんを愛していると思いますが家族の存在を意識せずにいられますか?
なるほど。
お金は意識しなくてよくなったけど、それは家族がいるおかげだということですね。
私が家族を意識せずにいられるかどうかですが、めちゃくちゃ意識していますよ。子どもは大好きですし、不満なところはあるにせよ私のことを支えてくれる奥さんも大切です。なので、たとえば子どもや奥さんがいなくなったり死んだりしたら泣くと思います。何日かは落ち込むかもしれません。
が、それと私が幸せかどうかは別の話です。
「家族がいるから私は幸せだ。」となると、自分の幸せを家族に依存することになります。言い換えれば「家族がなくなれば私は幸せではない。」ということですから。
何かに自分の幸せを依存してしまうと、そこに執着が生まれます。質問された方がどうかはわかりませんが、「これが幸せな家族」という形があるとします。ところが、奥さんやお子さんが自分が持っている「これが幸せな家族」にそぐわない言動をし始めると、自分の幸せが脅かされると感じて家族をコントロールしようとします。
それはもう幸せとは言えませんね。コントロールしようとする方もされる方も幸せではありません。
ちょっと話はそれますが、夫や奥さんに浮気、不倫されると不幸だと思うのは「夫もしくは奥さんが私を幸せにしてくれる。」という考えがあり、自分の幸せを相手の言動に依存させているからです。
そんなこと関係なく幸せであれば、相手が浮気しようが不倫しようが関係ありません。それで相手が幸せそうならいいじゃないですか。誰も誰かの幸せのために生きる必要はありません。みんなそれぞれが自分の幸せに素直に生きればいいのです。
それを謳ったゲシュタルトの祈りというのがあるので紹介します。
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
話を元に戻します。
家族は私に幸せを感じさせてくれます。それもたくさん幸せを感じさせてくれる大切な存在です。でも、家族が私を幸せにしてくれるわけではありません。
大切な存在ですが、依存はしません。執着もしません。今の家族がどんな形になっても私が幸せなのは変わりません。(もちろん、一時の感情の動きはあるでしょうが)そのため、家族を自分が幸せを感じられるようにコントロールする必要もありません。
私がたどり着いたのは「ただ在るだけで幸せ」という状態です。外部の状況は関係ありません。もちろん、上に書いたとおり一時の感情の動きはありますよ。ただ、幸せはどこから得られるものかに気づき、それを体験したのです。
幸せは外的な状況によって決まるのでありません。幸せはいつでもここにあります。幸せが外的な状況によって決まると思っている限り、外的な状況を自分が幸せを感じられるようにコントロールしようとするのは当然です。しかし、その試みは惨めなほど無残に終わります。コントロールなどできないからです。
かといって、子どもの成長を感じたりしたときに喜びを感じなくなった訳でもありませんし、奥さんに看病してもらったときに感謝を感じなくなったわけでもありません。むしろ、みんなそのままにしておけばいいと感じたので、家族と接するときのストレスが減りました。
あらゆるものを自分の幸せと切り離していきます。
「お金が私を幸せにしてくれるわけではない。」
「家族が私を幸せにしてくれるわけではない。」
「マイホームが私を幸せにしてくれるわけではない。」
「車が私を幸せにしてくれるわけではない。」
「○○という資格が私を幸せにしてくれるわけではない。」
「○○という肩書きが私を幸せにしてくれるわけではない。」
その上で、それらを楽しめばいいのです。
お金が私を幸せにしてくれるわけでは無いことを分かりつつも、お金で得られるものやサービスを味わい、感謝し、楽しめばいいのです。
家族が私を幸せにしてくれるわけではないことを分かりつつも、家族を大事にし、家族でしか経験できないことをたくさんし、そのことに感謝し、楽しみ、喜べばいいのです。
わかるでしょうか?もし「こいつは何を言っているんだ?」「家族が自分を幸せにしないなんて、キチガイじゃないか?」「スケベなことばかり考えているから、こんなおかしな事言うんだろう!」と思ったら、その時に出てくる気持ちを感じきるなり解放するなりしてみてください。
私もはじめは意味が分かりませんでした。しかし、目に見えるもので変わらず自分を幸せにし、安心させてくれるものなんか何一つ無かったと気づいた時、ここに書いたことが理解できました。
口説いようですが、不快な気持ちを感じきることと、瞑想を習慣にすることをオススメします。
P.S AVが私をムラムラさせることだけは唯一変わらないことかもしれません(笑)
2件のフィードバック
中川さん 有難うございました。今はまだ子供が可愛くて可愛くて仕方がなく麻薬の様に依存しているので、なかなかその境地まですぐ行くのは難しいですが、反抗期とかに突入すれば、結構自然にそのような発想になれる様な気がしました。(これが中川さんが本来意図している事ではないのは分かっています。)
こんにちは。前にもコメントさせていただいたものです。
いつも興味深い内容のブログを書いていただき、ありがとうございます。
ひとつ疑問があります。
よくお金に感謝することが大切ということが言われていますが、
お金が空気のような存在であれば、感謝することはあるのでしょうか。
私自身、空気に感謝したことは生まれてこのかた一度もありません。
空気があることが当たり前だからです。
私としては、お金に感謝するから、お金がある状態を当たり前と感じられないのでは?と思いました。
文字通り有難い存在、在ることが難しいと思っているということです。
お金がある状態が当たり前であれば、なくなる不安もないですし、欲しいとさえも思いません。
最近、この当たり前という心の状態がブレがなく安定してるなとも感じました。
当たり前が幸せと感じられたら、幸せが当たり前って状態になるのではないかと。
よく、スピリチャル関係の本に、感謝の大切さや「ありがとう」を言いましょうということが書かれていますが、私が今感じることは、当たり前という感覚こそが大切だと思います。