身も心もしんどかった数日
京都への旅行の翌日から、体がしんどくて眠くて眠くて仕方なかった。
体の疲れ、眠気がまぁまぁ撮れてきたかなと思ったら、今度は気持ちがグーっときた。あれこれいろんな思考が浮かぶ。特に朝がしんどい。
何日も気持ちが上がらない日が続いた。日中は楽しく過ごせたりしたが、朝起きてから1〜2時間くらいしんどい気持ちがやってきてたりしてた。
そして一昨日、格別朝がしんどかった。工務店から呼び出しがあったからだ。話があると言われたので、決していいことではないだろうと思っていた。あれこれ思考がやってくる。「あんなことかな。」「こんなことかな。」浮かんでくるのはほとんどネガティブなことばかりだ。話を聞いてみるまでわからないのに、あれこれ材料を見つけてはネガティブな話だろうと予想する。
私は怒られること、自分がやっていることにケチをつけられることにかなり敏感になっている。怯えていると言ってもいい。
グーっとしんどい気持ちと、あれやこれやの思考がやってきている最中、ふと「もうここに存在しているだけでいいわ。」そんな思考がやってきた。
「あれもこれもどうなってもいい。もう、ここにいる。それだけでいいわ。」そう思えた。それから気持ちが楽になってきた。
そのあと、女の人っぽい声が聞こえ出した。なんて言われたかははっきり覚えていないが、ここに存在しているだけでいい。その考え、思い、決意のようなものを肯定するような言葉だった。
存在するだけでいい。何かしていてもしていなくても存在しているということに、その時ようやく気がついた。
在ることをするというか、それを感じるために今まであれやこれややってた。考えたり意識をどこかに向けたりとか、思考を眺めるとか色々。
でも、そんなことをしなくても、もちろんしていても存在している。それでよかった。そのことをずっと見逃していたなと気づいた。
それと同時に、たくさんの学びがつながった気がした。「究極の自由はすぐそこにある。当たり前過ぎて目に見えないだけ。」「全てを手放した時に見える」「一切なんの努力も必要ない。」
存在することなんて当たり前すぎて気づかなかったし、あれこれするのをやめた時に自然と在ることができる、存在することができるし、存在することになんの努力も必要ない。
そういうことだろうなと思った。
存在すること、ここにいること。ずっとゴールにいるというのもこのことだろう。
それに気づいてから、体の力が抜けている時間が多くなったなと感じる。