問題に意識を向けさせる執着と苦しみの生まれ方

「そんなこともあったなぁ〜。」と
朝、娘が残して消費期限が切れそうな
チョコスティックパンを食べながら思いました。

10年くらい前、私の主食はチョコスティックパンでした。
150円くらいで8本か9本入っているチョコスティックパンは
それだけで朝ご飯と昼ご飯を満たしてくれます。

それにカゴメの野菜生活100を飲んでおけば晩ご飯までなんとかなります。

当時、チョコスティックパンは山崎とパスコが売っていましたが、私は山崎派でした。

あとは、サンクスで売っていたツイストドーナッツというのも好きでした。1個50円、2個で100円なのです。これも腹持ちが良いのでしょっちゅう食べていました。それに野菜ジュースです。

そんな生活をしていましたが、特に病気になることもありませんでした。ただ、我慢はしていました。
その時は「節約こそ正義!」だったので、いかに出費を安く抑えるか、コスパの高い買い物をするかにこだわっていました。そのため、たまにはラーメンを食べたくなっても食べず、チョコスティックパンとツイストドーナッツを食べていました。

それから、夏場でも車のエアコンはつけずに、汗だくになりながら営業にでかけていました。

そんなことを思い返しながら、奥さんと会話をしていました。
そんなときに出てきた会話で「昔はスーパーで売っている安い固い牛肉でもうまいうまいって言いながら食べてたなぁ〜。」という言葉が出てきました。

スーパーで売っているアメリカ産の安い牛肉に焼き肉のタレを掛けて食べるだけで満足していました。ただ、やはり我慢や憧れはありました。「本当は黒毛和牛の方を食べてみたいけど、高いから我慢しよう。」「松阪牛の焼き肉なんか食べたら死ぬほど美味しいんだろうなぁ。」という感じです。

月日は流れて、黒毛和牛でも松阪牛でも好きに食べられるようになりました。我慢や憧れはありません。しかし、新たに出現したものがあります。それは、「執着」や「苦しみ」です。

「もう、あのスーパーの固い肉なんて食べたくない!」という気持ちが執着と苦しみを生みます。ということは、収入が減ったりお金が無くなるようなことを恐れるようになります。収入やお金を維持するために、やりたいと思わないことでもやるようになるかもしれません。それはすでに苦しんでいる状態ですね。

お金をたくさん持つことがお金から自由になることではありません。どちらでも良いと思えることが自由です。あってもなくてもいい、こだわらない状態が自由な状態です。

松阪牛が執着と苦しみを生む理由は、「比較」です。こっちよりこっちがいい。スーパーの固い肉よりも、松阪牛の方がいい肉だという比較が執着と苦しみを生みます。

誰しも「いい」と判断できるものを得たり、その状態でいたいと願います。それが執着と苦しみを生みます。「悪い」と判断できるもの、状態を避けようとするからです。

執着や苦しみを生まないようにするには、比較しないことです。それはそれ、これはこれと別のものとして扱います。スーパーの肉にはスーパーの肉の特徴があり、松阪牛には松阪牛の特徴があります。それだけです。

値段の違いは、売る人や作った人が「これには、これくらいの手間暇がかかっているから、これくらいの感謝を示して欲しいな」という意思表示であり、その商品やサービスの「いい」と「悪い」を表しているものではありません。

比較しなくなれば、あとは好みの問題です。どちらでも好きな方を選べるようになります。「スーパーの肉なんて固いから食べたくない!」という思いは消え「これはこれ。」として楽しめるようになります。

執着しなくなると、そこに意識が向かなくなります。昨日の記事にも書きましたが、意識を向けると問題が発生し、力を持って存在し続けます。お金に対しても意識が向かなくなれば、問題は発生しません。お金の問題が発生しないと言うことは、足りないとかできないで悩んだりすることも無いということです。自然な状態である豊かさが現れてきます。

色んなものや人を「いい」「悪い」の比較や判断すること無く、「それはそれ」「これはこれ」という視点で捉えてみましょう。とても気楽になると思います。
P.S ハズレを引きたくない!と思って必死に選んだときに限って失敗し、「まぁいいか。」と思って選んだときに限ってよく当たります。風俗の話です(笑)

P.P.S 今に在るとき、自然と幸福感を得られます。そこに執着も苦しみもありません。今に在るために使える使える数々のテクニックや知識はこちらのセミナーで紹介します。

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