出来事や感情を「ネガティブ」にしているのは何か?

出来事そのものには意味がありません。
例えば、あなたがコップを床に落として割れたとしましょう。この瞬間、コップを床に落として割ったという出来事は中立です。
その出来事を認識した直後「新しいコップを買わなければいけない。」とか「掃除をしなければいけない。手間が増えた。」と思うと、その出来事はネガティブな出来事になります。

一方、「誰も怪我をしなくてよかった。」とか「新しいコップを買える」という意味付けをすれば、その出来事はポジティブな出来事になります。

つまり、私たちは出来事そのものではなく、出来事に対して行った意味付けや解釈に対して反応をしています。そのため、今まで経験をしたことないような出来事に遭遇した時は、いいか悪いか判断できずに思考停止したり、放心状態になります。

さて、この意味付けは出来事だけではありません。感情に対しても同様に意味付けや解釈を行なっています。

出来事と同じように、感情そのものに「いい感情」も「悪い感情」もなく、感情は中立です。しかし、感情に対して何らかの意味付けをした瞬間に中立ではなく「ポジティブ」や「ネガティブ」が発生します。

これはあなたの目で確かめることができるので実験してみてください。何かの感情が起きた時、その感情自体が「私はいい感情だ。」とか「私は悪い感情だ。」と言っているかどうか確認してみてください。そんなことは言っていないはずです。

感情は感情、ただそれだけです。重かったり軽かったり、鈍かったり鋭かったり、丸かったり広かったり小さかったりするだけです。

では、何がきっかけで感情に対して決まった意味付けをするようになるのでしょうか?それは2パターンあると思います。

一つ目は、親や学校の先生や誰かから聞いたことです。特定の出来事から特定の感情が起こっている時に「それは良くない。」と言われたので、その気持ちはよくない感情で、避けるべきものなのだという認識になります。

よくあるのが「泣くのはいけない。」というものですね。何かがあって涙を流す時、その時に起きている感情があれば「これはよくないものだ」と分類されます。次から何か涙を流すような時に出てくる気持ちは抑えるようになるでしょう。

「怒り」と呼ばれる感情もそうです。私たちは「怒るのは良くない。」「みんな仲良く。」と言われて育ちます。そのため、誰かに自分の意見を強くいうときや反論する時に浮かび上がってくる感情に対して「これは良くない感情だ。」と認識し、抑えるようになってしまいます。

もう一つは、その感情に似た感情を感じた時の出来事に対して貼ったレッテルです。例えば、数万円単位の急な出費が発生した時に、お腹の中を刺すような感情が現れたとしましょう。あなたの中で急な出費が発生したという出来事に対して「良くない出来事だ。」とレッテルを貼ります。すると、その時に感じていた気持ちにも自動的に「よくない感情だ。」とレッテルを貼ります。

そして、その良くないとレッテルを貼った感情を経験するたびに、無意識に「この感情が出ているということは何か良くないことが起こるかもしれない。」とか「この感情が出ているということは、この出来事は良くない出来事だ。」反応してしまいます。

ここでも、その感情自体に反応しているのではなく、感情に貼った「よくない」というレッテルに対して反応をしています。

ここでおかしなことが起こってしまいます。
本来は中立のはずの出来事や感情に「これはよくない」とレッテルを貼り、「このままでは不味いことになる。なんとかしないと!」と慌ててなんとかしようとしてしまいます。そのままなにもしなければ万事順調に進んだかもしれないのに、自分で流れに逆らって変な方向へ進めてしまいます。

これをしないのが、委ねるということじゃないのかと感じています。

出来事も感情も「いい」「悪い」の判断無く、ただ経験してみてください。
そして、出来事や感情だけに限らず、あらゆる物事に超高速で「いい」「悪い」とか「これは○○だ。」とレッテル貼りをしていることに気づいてみましょう。

気づいたらレッテル貼りをやめてみてください。それが出来事や感情をただ経験するコツです。

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