優しくて、いい人で苦しんでいるあなたへ

優しくて、いい人で苦しんでいるあなたへ

突然ですが、私の名前は「優也」といいます。優しい也(なり)と書きます。名前の由来は「優しい子に育って欲しい」ということだそうです。
ところが、小さい時の私は優しさのかけらもなく、自分のことしか考えない残酷な人間でした。こんなことがありました。

私が母親の機嫌を損ねることをしてしまい、夜に家の外へ放り出されたことがあります。それをみかねた弟が、母親に「かわいそうだから家に入れてあげて」と懇願したそうです。それもあって、少しの時間で家に入ることができました。

その数日後。今度は弟が母親の機嫌を損ねることをして、夜に家の外に放り出されました。しかし、私はその時スーパーファミコンのマリオに熱中していました。弟が外に放り出されたことよりも、マリオの方が気になったのです。なので、弟に対しては何もしませんでした。

それに対して母親は「お前が外に放り出された時には弟は助けてくれたのに、弟が同じ目に遭っててもなにもしてやらんのやな!この薄情者が!」と怒鳴りつけられました。

それ以来、私が優しくないと判断できる行動を取っていると母親に「お前は優しくない。名前負けしている。」と言われ続けました。いつしか私の心の中で、自分は優しくなければいけないんだ。そうじゃないと愛されないんだという思いが育っていきました。

いつからか私は、どこに行っても優しい、誠実、いい人だと言われるようになりました。もうそれが私の人格の一つになっていました。私が思っている優しさとは、相手の喜ぶことをする、助けになることをするということでした。たとえ、自分がしたいと思っていないことであってもです。

私はほとんどどんな人にも優しく接しました。優しさで返ってくることもあれば、返ってこないこともありました。そんな時、私は傷つくことを選び、怒ることを選んでいました。

優しくしたのに返ってこない。優しくしたから優しくされるわけではない。心の何処かでわかっていたのかもしれませんが、「優しくしないと愛されない」という前提を持っていた私は、人に優しくすることをやめませんでした。

ここ最近、優しくしたのに返ってこないと感じる強烈なことが立て続けにありました。私の行為を、そんなことは知らんと言わんばかりに無視し、踏みにじるような行為です。それらの出来事は、私の胸を強烈にえぐりました。「なんでこんな仕打ちを受けなければいけないんだ!」と怒り狂いました。

それでも、それらの出来事があったおかげでようやく気づくことができました。「優しくしたから優しくされる。優しくしたから愛されるなんて関係ない。」ということにです。そして私は、誰かに優しくするばかりに、肝心の自分自身に優しくなかったのです。相手を喜ばせるために相手の意向を聞き、自分の意向と違っても相手の喜ぶことをしていました。本音はしたくないと感じていることもやっていました。それにようやく気づくことができました。

私は見返りを求めていました。優しくしたから愛してくれるだろうと。優しくした分、返してくれるだろうと。見返りを求めたのは、自分がやりたいと思ってやってることではなかったからです。取引をしていたのです。だから、相手に期待してしまうし期待通り動いてくれないと傷つくことを選んだり、怒ることを選んだりしていたのです。

これはもう、自分も相手も苦しめるだけでした。私は自分を犠牲にしていますし、相手も私の期待に応えないといけない空気になってしまいます。

私は「優しくしないと愛されない」という前提を捨てました。優しくすることが愛されるための条件になっていましたが、それをやめました。ただ「愛される」としました。そうすれば、私は優しくしてもしなくても愛されるのです。そうなれば、私は嫌なことは嫌だと断ることができます。断ったところで愛されることに変わりはないからです。

それから、相手に何かするときは「何も返ってこなかったとしてもそれをするのか?」と問いかけるようにしました。自分を犠牲にして、見返りを求める前提の行為を事前にストップできるようになりました。

私がこのことに気づいて実践し出してから、面白いことが起きました。私はほとんど家にいるので、子供の送り迎えをし、家事も手伝っていました。でも、それは奥さんの体調を気遣ってでした。体調を崩しがちな奥さんを気遣って、やりたくないけどやらなきゃと思ってやっていたのです。それを、やりたくないと言って断って見ました。

すると、いつもいつもどこか体調が悪いと言っていた奥さんが別人のように体調が良くなり、子供の送り迎えや家事をほとんど1人でやってくれるようになりました。たまに疲れたとは言っていますが、今までにないくらい活き活きしています。

今まで私が勝手にやらなきゃと思って抱え込んで、そうなるために奥さんの体調が悪くなってたんだなということに気づきました。そんなことしなくてよかったんだな、「愛される」が前提なら、嫌だと断っても愛される結果になるんだなと実感しました。

あなたが、私のように優しい人でいい人なら、優しくすることで相手に見返りを求めていないかチェックして見てください。それがあなたの苦しみになっていませんか?優しくしてもしなくても、いい人でいてもいなくても、あなたが愛されて満たされるなら、それでもあなたは自分を犠牲にして優しくていい人を続けますか?

 

P.S なんか、エッチも相手のことをあれこれ考えてやるよりも、自分がやりたいようにやったほうが、結果的に相手も満足してくれるような気がするんですよね(笑)

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