
「中指!中指!この間教えたでしょ!」
隣の座席から聞けます。
視線をやると、30代半ばくらいのお母さんが4歳くらいの娘に厳しく言っています。
その日はラーメンを食べたくなったので近所のラーメン屋へ行きました。
私が店に入った時はそうでもなかったのですが、日曜日ということもあり続々とお客さんが入ってきていました。
私が座っている座席の隣の座席にもお客さんが座りました。
そこから「中ユビィィィ!」という怒号が聞こえます。
どうやら、娘に箸の持ち方を指示している様子でした。
娘を見ると、板間の上に正座をして一生懸命箸を使ってラーメンを食べようとしています。
隣にいるお母さんは、鬼の形相で娘がきちんと箸を使えているかどうか監視をしていました。
「うわ〜、あれはあの子かわいそうやな〜。あんなんで食べても美味しくないやろ・・・」と思いました。
人のことはどうでもいいですし、お母さんに「そんなことしたら美味しくないですよ。」という勇気もないので、私の隣に座っていた息子に「食べにくかったら手でつかんで食べてええよ。美味しいか?よっしゃ、美味しかったらええわ。」と聞こえるように言いました(笑)
何かを食べる目的は、空腹を満たすことや栄養を補給することもあると思いますが、私は「楽しむこと」だと思います。美味しいという感覚や、いろんな料理の味、匂い、食感を楽しむことだと思います。
食べること(食べ物を口の中に入れること)が第一で、食べ方はなんだっていいはずです。箸で食べようが、フォークで食べようが、手でつかんで食べようが、口の中に入っていたらそれでOKのはずです。
でも、箸の使い方や礼儀作法にこだわり過ぎてしまうと、食事が楽しくないものになってしまうと思います。
これは食べることだけではありません。
他のことでも、手段にばかりこだわるせいで本来の目的をないがしろにして見失うケースが多々あります。
例えば、子どもの教育もそうです。親は子どもの幸せを願います。そうして、いい教育を受けさせてやりたいと思います。しかし、必ずしも(というかほとんどの場合)子どもは他にやりたいことがあります。でも、親は「お前の幸せのためだ!」といって半ば強制的に教育をします。子どもはやりたくもない事を嫌々やっています。この時点で子どもは幸せではありません。
最初の目的はどこに行ったんでしょうか?
お金をたくさん得られるようになれば幸せになれると思います。この時も目的は「幸せ」です。でも、お金のために嫌な事を我慢してやり続けます。ストレスが溜まります。これでは幸せだとは言えません。
最初の目的はどこに行ったんでしょうか?いつ果たされるんでしょうか?
幸せが目的なら、手段はなんだっていいはずです。手段にこだわるからおかしなことになります。
細かい手段のことは考えずに、幸せになることを豊かになることを自由になることを考えてやりましょう。それが一番の近道です。
P.S 気持ちよくさせるなら、それがスローセックスでも電マでもピンクローターでもなんでもいいのです(笑)