不安や恐れを一瞬で(笑)に変える裏ワザ

私は突然不快感に襲われるようなことがたまにあります。

特に理由も無く、突然お腹が緊張するような不快感だったり、胸が詰まったような感覚を覚えたりすることがあります。何か問題を抱えていたり不安なことがないときでも、それらの感覚が起きるときがあります。

あまり好ましい経験ではないので、出来れば起きて欲しくありません。頻繁に起きるときは「やめてくれ〜!」と思ったりします。

先日も、しつこい不快感がやってくる日がありました。「ああ、もうウザいなぁ。」と思っていたんですが、ここでふとこう思ったんです。

「これも自分が起こしてるんだった。」

そう思うと、とても滑稽なことに気づきました。
自分が不快感を起こす→それに対して「やめてくれ〜!」と言う、思う。
人生とは壮大な自作自演のドラマだなと思いました。

私の身に起こること、見るもの、聞こえるもの、触れるのも、人生で経験することすべては私が起こしていることです。
その出来事に対して私が「これはいい。」「これはイヤだ。」「やめてくれ〜!」と反応しているだけなのです。そう思うと、不快感、不安、恐怖などを真剣に捉えるのが馬鹿馬鹿しくなりました。

だって、自分で作った落とし穴に入って「助けてくれ〜!」なんて言っているのはアホっぽいじゃないですか(笑)

ただ、この「自分が起こしている」という感覚になるまでが難しいのかなと個人的には思います。起こることはすべてあなたが起こしているというのは数年前から知識としては知っていました。それを体感できるまでに結構時間がかかりました。

体感できるまでには、「なぜ、全部自分が起こしているのか?」という知識と、しっかり湧き上がる感情を感じきること、十分に今に在ること(それによって自分の本体を見つけること)が必要なのかなと感じます。

いきなり「これも全部私が起こしているのだ!」とは思えないと思います。「なんでこんなことが起こるんだ!」「なんで私がこんな目に遭わないといけないんだ!」「こんなのおかしい!」と思いたくなる出来事もたくさんあると思います。

そんなときは、「もしかしたら、これは私自身が起こした出来事なのかもしれない。」という視点を持ってみるといいです。その視点を持つと、ただその出来事に翻弄される人ではなく、少し上の視点に立つことが出来ます。

ここで注意したいのは、あなたが普段自分だと思っている思考や身体が起こしたのでは無いということです。そう思うとどんな出来事にも自己責任を感じてしまい、自分を責めてしまうことになります。そうではなく、あらゆる出来事を起こしているのはあなたの本体の方です。「私が起こしたのかもしれない。」と思うことで、本体の視点に立って出来事を経験できるようになります。

「今、誰目線でいるのか?」「自分を誰だと思っているのか?」という問いかけも有効だと思います。
P.S エッチの時に相手を愛撫することを「責める」というなら、オナニーは「自分で自分を責める」とも言えるんじゃ無いかとふと思いました(笑)

P.P.S 「なぜ、全部自分が起こしているのか?」という知識と、しっかり湧き上がる感情を感じきること、十分に今に在ることについては開催予定のセミナーでお伝えします。

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