ボッキしないと入れられない

やったことはないですが、フニャチンの状態では入らないですよね。基本的にボッキしてないと入りません。最低でも半勃ちくらいになってないと入らないと思います。

フニャチンの状態からムラムラしてボッキします。ボッキしたら入れて出して、そしてフニャチンの状態に戻りますね。また元に戻るんかい!って感じですよね。

これはもう人生そのものですね。生まれた時、私たちは理想の状態でした。自分を赤ちゃんという身体とは思っておらず、見るもの聞くもの全てが自分という認識でした。そしてそれは自分の表現であり、自分はなんでもできるし何でもなれました。しかし、すでに理想の状態にあるということを知りませんでした。これがフニャチンの状態です。

それから時間を経過するごとに、自分は身体であり、その身体で考えて身体を動かしてあれこれ感じているものだと錯覚するようになります。要は、自分は名前のついた身体で、それ以外のものは全部自分以外だと認識するようになります。これがムラムラしてきた段階です。

その認識が深まり、自分のことを「○○(名前)は〜」と表現するのではなく「俺が」「私が」「僕が」と言い出したら、完全に個人になります。個とは人が固まると書きますね。自分は名前のついた身体だという認識が固まった時、個人になります。これがフルボッキしている段階です。

個人にできることは何もありません。人生劇場の登場人物でしかないので、台本通りに考えたり動いたり感じたりするだけです。だから、強烈に束縛を感じて自由を求めます。これは、入れる穴を探している段階です。

自由を求めた個人は、どうやったら自由になれるのかを学んで実践します。ある教えを学んでもわからず、違う教えを学んで実践しても欲しい結果は得られず、もがき苦しみます。「どうやったら自由になれるんだ!」
これは、あれやこれや対位を変えながら、頑張ってピストンしている段階です。

あらゆる教えを学んで実践してもダメだった。自由になんかなれないんだと諦めた時、最初っから自由だったことに気づきます。自由じゃなかったのは「これが私」という考えを持っていたから、そして、「自由じゃない」という考えを持っていたからということに気づきます。力が抜けます。
これは、もうピストンできなくなってイッてしまい、賢者タイムを迎えた段階です。悟ったのでまさに賢者(笑)

そして、全部が自分の表現であり、自分はどこにもいなかったことを知ります。見事に生まれてきた時に戻ってきました。でも、今度は自分がすでに理想の状態にあるということを知っています。だから、何かになろうとしたり何かを求めたりしなくなります。そしてそれは、一度自由がない状態、理想とは離れた状態を経験しなければわからなかったことです。

それと同じく、フニャチンからボッキして、頑張ってピストンしてまたフニャチンに戻ってきますが、それは、ボッキしないとできない経験をした前とは違うフニャチンなのです(笑)

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