私は毎週欠かさずドラゴンボールを見ています。
何週間か前に放送されていた回で、悟空への復習を実現するためにやってきたフリーザ様が悟空の隙を突いて手下に心臓を打たせて悟空を倒すというシーンがありました。
それを見て悟空をはじめ周りの取り巻きも「卑怯だ!」とフリーザ様をののしります。
たしかに、フリーザ様は卑怯だと思います。しかし、願望を実現する、目標を達成するという点ではフリーザ様のようにあるべきです。
どういうことかというと、「手段を選ばない、こだわらない」ということです。
今回フリーザ様が地球にやってきた目的は「孫悟空に復讐すること」です。復習できれば手段は何だっていいわけです。自分一人で悟空を殺してもいいですし、手下が殺してしまってもいいわけです。
フリーザ様が選択した、悟空を油断させて手下に心臓を打たせるという手段は「復習する」という目的を達成するために一番有効な手段だったのでしょう。
一歩の悟空は「一対一で正々堂々勝負すべきだ」とこだわってしまったため、フリーザ様の手下にやられてしまい、「フリーザ様を倒す」という目的を達成できませんでした。
「手段を選ばない」というと、なにやら卑怯なことをするという雰囲気がありますがそうではありません。「手段にこだわらない」といったほうがいいかもしれませんね。
たとえば、あなたがお金を得たいとします。その目的を達成するための手段として「働く」を選ぶとします。しかし、お金を得るためには必ずしも働く必要はありません。誰かにもらうことだってできます。
悟空やその取り巻き、そして世間一般的な常識でいうと「働いていないのにお金をもらうなんて卑怯だぞ!」となりますが、そんなことはどうだっていいのです。お金を得たいという目的を達成できるなら、誰かにもらったって拾ったっていいじゃないですか。
もっというと、お金は絶対に目的になり得ません。お金の先にあるものやサービスを手に入れるための手段としてしか存在していません。
ということは、お金という手段を用いなくても、手に入れたいものやサービスを手に入れることができるならそれでいいわけです。
これが、手段を選ばない、手段にこだわらないということです。
あなたが持っている願望を実現するため、目標を達成するために一番いい手段は何か?という視点を持つといいです。
そして、あらゆる願望実現や目標達成の究極の目的は「幸せであること」です。じゃあ、幸せであることができるならそのための手段は何だっていいわけですよ。
「〜じゃなきゃ幸せじゃない」というのは幸せであるという目的達成のための手段を選んでいる、手段にこだわっている状態です。
あなたは今、手段にこだわるがあまり幸せじゃなくなっていませんか?幸せは何らかの条件を達成すれば得られるものではなく、ただ選択すればいいだけです。