自分で何とかしよう。人生で起こることをコントロールしようとすればするほどうまくいかなくなります。なぜでしょうか?それは、限られた視野でしか物事を見ることができないからです。これはまるで、地図もなく上手に迷路から脱出しようとしているようなものです。
呼び名は神でも宇宙でもハイヤーセルフでも大いなる意志でもなんでもいいですが、私たちには身体以上の存在がついてくれています。ついてくれているというか、そっちが本来の自分なのですがそれは置いときます。
それらの存在は、私たちのことを上から見ています。迷路の中にいる私たちからすれば、見えるのは通路、分岐点、もしくは壁のいずれかです。どこにいけばなにがあるのかわかりませんし、どう進めば迷路を脱出できるかはわかりません。けれども、迷路を上から見ればどのように進めばいいのかは一目瞭然です。
自分の力で何とかしようというのは思考の働きです。自分の頭で考えてあれこれやろうとしているときは、地図も持たないのに迷路を自分で攻略しようとしている時です。とても効率が悪いですし、うまくいくかどうかはわかりません。
一方、思考を止めることで上からの指示が聞こえるようになります。あっちにいけばいいよ、こっちにいけばいいよ、そっちは行き止まりだよという声に従っていけば、難なく迷路を脱出することができます。
ということは、常に思考ではなく上からの指示に耳を傾けておけば特に苦労することはないと言うことです。
でも、ここで心の抵抗が起きます。「いや、そんな目にも見えないようなヤツに自分の人生を預けるなんて事はとてもできない。」そう考えて、引き続き自分の力でやろうとします。
その考えを抱くのは、この考えがあるからです。「今まで自分の頭で考え、行動してきて成果を出してきた。だから、訳の分からないヤツに指示を仰がなくたって1人でやれる。」
私もそう考えていました。なので、コントロールを手放すことに恐怖や不安を覚えました。でも、こう考えてみることにしました。「今まで得た成果は何一つ自分の思考によるものではないのではないか?」「むしろ、もっと得られたはずなのに自分の思考がそれを邪魔して減らしていただけじゃないのだろうか?」
ここでも迷路のたとえが役立ちます。迷路をスタートしたときから、自分で考えるのではなく上からの指示に従っていけば、最短距離でゴールまでたどり着けます。しかし、少しでも自分の思考を働かせて自分でやろうとすると、正解の道ではない選択をする可能性が出てきますから、その分だけゴールへの到着も遅れますし、必要以上の労力がかかります。
たとえば、俺は努力して年収1,000万円稼げるようになった!と思っているとしますね。でも、努力しなければ年収1億円稼げているかもしれません。自分であれこれ考えて邪魔してしまったから、本来稼げる金額の10分の1しか稼げていないのかもしれません。もっとも、収入の額と幸福度にはなんの関係もありませんが。
思考による行動も何かの成果を出していたが、もっと確実に成果を出すために委ねるのではなく、思考が何かを生み出したこともなければ、むしろ邪魔していただけだった。そう思うと、コントロールを手放すのが得策だと思いませんか?
あなたが判断に迷うとき、どうすればいいかわからないとき、助けて欲しいとき、そう祈ってみましょう。「わたしはどうすればいいでしょうか?」「教えてください。」「助けてください。」まずはそこからです。それは、自分以外の大きな力があることを認めることになります。思考ではどうにもならないことを認めます。そうすることで、思考によるコントロールを弱めていくことができます。
助けやアドバイスを求めたら、声が聞こえることもありますし、身体の感覚で分かることもあります。どちらにするか迷ったときは質問を投げかけてみて、身体の感覚を感じてみましょう。軽くなる、明るくなるような感じがすればYES、重苦しい感じがすればNOだと分かります。
思考を使ってあれこれ考えるのは自分の邪魔をしているだけです。楽して最短距離を進みましょう。
P.S それでも射精のタイミングはコントロールしようとしますけどね(笑)