なぜ、やりたいことができなくて、やりたくないことをやってしまうのか?

「こ、これはいいのか悪いのかわからない・・・」

ガソリン車であれば、1リットル当たり何キロメートル走りますという表記がされています。例えば20km/ℓであれば、ガソリン1リットル当たり20km走るような使い方をしているんだなとわかります。これで、燃費がいい走りをしているのか、悪い走りをしているのかがわかります。

先日買ったテスラのモデルXという電気自動車。
この車も最近のほとんどの車についているように、燃費計がついています。
ガソリンじゃないので、燃費とは言わないんでしょうけど、ほかに言い方がわかりません。それすらわからない。。。

さて、スピードメーターが表示されているところに燃費計がついています。その表記が1キロメートルを走るのに、何ワットの電気を使っていますという表記なんです。こんな感じです。「272wh/km」

んなこと言われても、いいのか悪いのか全然わかりません。
なぜわからないかというと、判断基準がないからです。何がいいのか、どの数値ならいいのか悪いのかという判断基準がありません。判断基準がないと、いい方向へ向かうことも悪い方向へ行かないようにすることもできません。ただそのままです。

やがて、しばらく走ってきて判断基準がわかるようになってきました。「あぁ、だいたいこれくらいの数値内で走ればきっと燃費?効率?がいい走り方なんだろうな。」という基準がわかってきました。

で、基準がわかるとこんなことが起こりました。
それは、効率よく走ろうとするのです。燃費計に表示されている数値はスコアみたいなもんです。要は、どれだけ効率よく走れたかを表しているわけですね。それを気にして走るようになります。

するとどうでしょう。
「走っていて楽しくない!」のです。

私はスピード狂なので、アクセルを踏み込んでガッと加速するのが好きなのです。でも、そんなことするとスコアが悪くなります。スコアを気にするならそんなことはできません。すると、楽しみが減ります。純粋に運転を楽しむことができなくなります。

「なんのためにこの車を買ったのか?」もちろん、節約するためではありません。運転を楽しむためです。そして、上に開くドアを見せびらかしてニヤニヤしたかったからです(笑)

楽しむために買った車なのに、燃費や走行スコアを気にしていたら楽しめない。本末転倒です。

このように、判断基準を持つと「いい」方向へ向かい、「悪い」ことは避けようとします。そこに楽しみはなくても「いい」結果を求めて「悪い」結果を避けようとします。「いい」結果を得られれば、それを維持するために苦しみもがき、「悪い」結果になればそれをどうにかしようと苦しみもがくことになります。

一体何のために生まれてきたんでしょう?楽しむためです!

2歳や3歳の子供を見てみましょう。彼らはなんの結果も求めていません。ただ、したいことをして楽しんでいます。彼らの行動には動機がありません。「ただしたいからする」「ただやりたくないからやらない」それだけです。とてもシンプルです。

あなたがとっている行動は「それをするといい」からやっているのでしょうか?それとも「ただしたいから」やっているのでしょうか?
あなたが避けている行動は「それをすると悪い」から避けているのでしょうか?「ただしたくない」から避けているのでしょうか?

「いい」も「悪い」もなければ、あなたは何をして何をしたくないでしょうか?

おっと、頭で考えても答えは見つかりませんよ。頭は「いい」「悪い」の判断と比較することしかできませんからね。
P.S 「悪い」という判断がないので、行きたいから風俗へもキャバクラへも行っています(笑)

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