お母さんを喜ばせるために生まれてきたという呪い

お母さんを喜ばせるために生まれてきたという呪い

先日、「次どこへ旅行へ行くか行き先を探そう」と本屋さんで旅行系の本を探していました。一通り見終わった後、久しぶりに子供に絵本でも買ってあげようということで、絵本コーナーへ移動しました。

子どもは私が寝る前に絵本を読み聞かせするのが結構好きらしく、度々「今日絵本読んで〜」と頼んできます。私自身も読んでいて楽しいので読んでいます。

どんな絵本がいいかな〜と物色していたら、奥さんが「この本どう?」と見せてくれた本がありました。それが「このママにきーめた」という絵本です。奥さんが中身をパラパラとめくって見せてくれました。するとその中にすごく引っかかる文言がありました。それが

「お母さんを喜ばせるために生まれるんだから」という言葉です。

この絵本、胎内記憶がある子供へのインタビューを基にして作られたようです。そしてその胎内記憶を持った子供が口を揃えて「お母さんを喜ばせるために生まれてきた」と言ったそうです。そのため、物語もお腹の中に入る前天国からどの人の子供として選んで生まれるというストーリーでした。

「お母さん喜ばせるために生まれてきた」なんて、ただの呪いでしかありません。なぜ、私がこの言葉を呪いだと感じるのか説明していきます。

そしてあなたが、「お母さんを喜ばせるために生きる」という呪いから抜け出してもらえれば幸いです。結構残酷なことが書いてあるかもしれませんが、受け入れることができたら生きるのが楽になります。

お母さんだけではなく、誰かを喜ばせることなどできない

あなたが誰かを喜ばせることはできません。かと言って、喜ばせようとすることをやめろと言っているわけではありません。相手を喜ばせようとしてすることが、あなた自身の喜びや楽しみであればどんどんやるといいと思います。ただ、あなたが誰かに「喜んでくれるかな」と思ってやった言動でも、それを受け取って喜ぶかどうか、どんな反応をするかどうかは相手次第になります。

あなたも一つや二つ経験があると思います。「こうされると嬉しいだろうな」と考えてやった言動が逆に相手を怒らせたり悲しい思いをさせてしまったようなことが。

つまり、あなたの言動で相手が喜ぶかどうかはわからないということです。なぜならそれは、相手が決めることだからです。

あなたがお母さんをはじめとして誰かを喜ばせることができると考えるのは、越権行為であり傲慢です。喜ぶかどうか、何かの出来事を受けてどう反応するかはその人本人が決めることです。それと同じように、あなたが何らかの出来事や状況に対してどう反応するかはあなたが決めることです。誰かによって決められることはありません。

ギャンブル依存症のような中毒性を生み出す

あなたの言動で相手が喜ぶかどうかは相手次第。つまり、うまくいくかどうかわからないということです。「今度はうまくいくかな、、、どうかな、、、」と考えながら行動するようになります。これはパチンコなどのギャンブルと同じです。

ギャンブルも勝つかどうかは運次第です。もちろん、やり方や予想の仕方でその確率は多少変わったとしても、結局は運次第ですよね。確実に勝つ方法も負ける方法も存在しません。それが良い言い方をすれば面白さであり、悪い言い方をすれば中毒性を生み出します。負けた時の感情が勝った時の感情を引き立たせ、買った時の感情が負けた時の感情を引き立たせるからです。

本来感情に「いい」も「悪い」もなく、すべて望ましいものです。もちろん、映画の登場人物からすれば「不安」や「怒り」「悲しみ」「罪悪感」などの感情は望ましくないという判断になりますが、映画の観客の立場である本来の自分からすればどれも「面白い」経験なのです。

ということは、その「面白い」経験ができる限りずっとそれを繰り返すようになります。中毒、依存状態です。

仮に、パチンコでもなんでも絶対勝つ、もしくは絶対負けるなら、すぐ面白くなくなって誰もしなくなるでしょう。

これと同じように、「相手を喜ばせる」という行動も結果は相手次第であり、中毒性があります。

相手基準の考え、言動になってしまい自分の人生を失う

お母さんをはじめ、誰かを喜ばせることに意識を置いてしまうと、相手基準の考えや言動になってしまいます。上にも書いた通り、相手が喜ぶかどうかは相手次第であり、相手が喜ぶ基準を満たす言動をあなたがする必要があるからです。

あなた自身が喜ぶ言動と相手が喜ぶ基準が一致していれば問題ありません。しかし、必ずしもそうではありませんね。そこで、あなたが「あなた自身を喜ばせること」よりも「お母さんを含む他者を喜ばせること」に意識を置いてしまうと、あなたがやりたくないことでも相手が喜ぶのならとやってしまうことになるでしょう。

例えば、あなたは本当は歌手になりたかった。歌うことが好きで歌っているだけで楽しかった。でも、あなたの母親は大学を出て就職をして結婚をして子供を産んでと、普通の道を進んで欲しかった。

この時、「お母さんを喜ばせるため」に意識が向いていると、歌手の道を諦めることになってしまうでしょう。母親は大学を出て就職して結婚して子供を産んだあなたを見て「ほら、お母さんの言った通りにして正解だったでしょ?今幸せじゃない?」という感想を抱くでしょう。それはそうです。なぜなら、あなたの姿は母親が「これが幸せ」と定義した姿だからです。

しかし、それは母親、そして他の誰かが定義した幸せであり、あなたの幸せとは必ずしも一致しません。いや、ほとんどの場合で一致しないでしょう。あなたはずっと、何か違うしっくりこない感を抱えたまま生きることになってしまいます。でも、頭では「これが幸せなんだ」と言い聞かせるようになります。そのうちガンか何かの病気になります。

要は、他人の人生を生きることになってしまいます。あなたが誰の人生を生きるのかは選ぶことができます。母親がなってほしい姿になり、母親の基準に従った母親の人生を生きることもできます。それは自由です。しかし、あなたが他人の人生を生きたとしても、誰かがあなたの人生を生きてくれるわけではありません。あなたは抜け殻になります。

親にとっての幸せとは何か?

私も子供が二人います。私の親としての役割において感じる幸せとは「子供が幸せでいること」です。それは、あなたも同じだと思います。

私の幸せの定義とは「やりたいことをやって、人生を楽しむこと」です。つまり、自分の人生を生きてほしいと思っています。やりたいことは人によって違います。私と私の子供では違います。感じることも違います。幸せの形も人によって違います。なので、できるだけやりたいことをやってほしいと思っています。そしてそれを感じる時、私も幸せな気分を感じます。

しかし、私が見ていて思うのは世間一般的な親は、「幸せとはこうである」という定義があり、それに子どもを当てはめようとしているように感じます。一般的にいう幸せとは「お金持ちになること」「いい大学を出ること」「結婚して子どもを作ること」「マイホームを持つこと」「安定した生活を送ること」「社会のルールを守って真っ当な人生を送ること」などがあるでしょう。

こういうのが組み合わさって、親なりの「これが幸せ」という基準が出来上がります。そしてその基準を子供にも当てはめようとします。これに「お母さんを喜ばせる」という考えが組み合わさると、抜け殻、アンドロイド、ロボットの出来上がりです。責任者不在で、誰かに言われるがままの人生を送ることしかできなくなってしまいます。

小さい子供は、早い段階からこの言葉を覚えてもらいたいと思います。
「それで、お母さんは本当に幸せなの??」

あなた自身が幸せになって喜ぶことが最大の親孝行

上にも書きましたが、私やあなたを含むほとんどの親が「子供に幸せになってもらいたい」と思っています。そしてそれは「親が決めたルールに従った上で」という条件など必要ないはずです。

子どもが幸せになること、喜びを感じること、人生を楽しんで生きていることが私たちの親としての役割で感じる最大の幸せだと私は思います。

であれば、子供という役割でできる最大の親孝行は、子供自身が幸せになること、喜びを感じること、人生を楽しんで生きること、生まれてきてよかったと感じることだと思います。

親に仕送りをするとか、親を助けたり介護したりという親孝行もあるでしょうが、私は自分自身が最高に幸せを感じることが最大の親孝行だと思います。

お母さんをはじめ、誰かを喜ばせるのではなく、あなた自身が喜ぶことをしてください。あなた自身を喜ばせてください。誰かを喜ばせたいなら、あなたが自身が喜びを感じることでしてください。決してあなた自身を犠牲にして、やりたくないことまでやって誰かを喜ばせるようなことはしないでください。犠牲を入力すれば犠牲しか出てきません。そこにあなたの本当の幸せや喜びはありません。

「お母さんを喜ばせるために生まれるんだから」という言葉は嘘ではないと思います。しかし、喜ばせるために自分自身が犠牲になる必要は一切ありません。あなたが喜ぶこと、それがお母さんの喜ぶことです。

親だけが読むべき絵本

「お母さんを喜ばせるために生まれるんだから」という言葉や考えは、ほとんどの場合で子供にとっては呪いの言葉になるでしょう。特に、私のような複雑な家庭環境で育っている子供は特にそうだと思います。

絵本の最後にはこう書いてありました。子供はお母さんを喜ばせたくてあれこれしている。だから、それを見て怒るんじゃなくて喜んで欲しいと。

小さい子どもは自分のやりたいことをして、自由に自分を表現して楽しそうで幸せそうですよね。それはお母さんに対して「こんなに幸せで楽しい。生まれてきてよかった。」という表現なんだと思います。親はただそれを見て「産んでよかった。」と喜びを感じておけばいいんだと思います。

子どもはそこにいるだけで幸せそうです。すでに幸せな子どもに対して、幸せになるために何か教える必要がありますか?逆に、親が子どもに教えてもらうべきだと思います。

子供が恥をかかないため、人に迷惑をかけないためと怒りたくなる気持ちはわかりますが、それは本当に子供のためでしょうか?親が世間体を気にしているだけではないでしょうか?

私は、子どものやりたいようにやってもらい、何か失敗しても誰かに迷惑をかけたとしても私が責任を取るから好きなようにやってもらいたいと思っています。

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